外から来る情報に頼るのはやめよう。

うちの声に耳を傾ける


LOVE MYSELFあまね理樺です。

このサロン名、ある日突然降りて来たものなのですが、

これって『永遠のテーマ』なのだなと思います。



自分自身を愛してあげること。

これって口で言うよりも何倍もムズカシイ。



そういうつもりもないのに、常にダメだししていたり。

OSHOタロットに「消耗」っていうカードがあるんですが、

ちょうどそんな感じかな。

自分自身をチェックすることに忙しくて

本質の部分に注ぐエネルギーが残っていない。

疲れた~って。

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もう、耳にタコかもしれませんが、

自分の作りたいように現実は創れるという話を聞いたことがありますか?



コトバでは簡単そうに聴こえます。

が・・・



「実際にしているかな?」と省みてみます。



繰り返される無意識のパターンがあるのがわかります。

どんな呪縛だろう?



「どうせうまく行きっこない」

「そんなことしてなんになるの?」

「ムダなことはやめておこうよ」



いつの間にか繰り返されるこの無限ループからどうしたら抜け出せるのでしょう。

「どこからそういう思考のパターンをいれ「られ」たんだろう?」




「世の中そんなに甘くはないよ」

とお母さんが言っていた。



「そんな夢みたいなこと考えてなんになるの?」

と言った友人の声。






でも、それって・・・。





素直に「あー、そうだったんだ。それでそんな風に考える癖ができちゃったんだ~」

と思うのはOK。



だけど、

親がこんなひとであんなことを言われたからこうなったんだ!ワタシのせいじゃない!」

と責任を他者においた時点でアウト。




きっと新たなる怒りが生まれ、

他者を攻撃することで本質から目が逸らされる。




そして、ずっとそれを理由に「自分で」どうにかしようとは思わないでいる。

その方が楽だもんねぇ。




だけども、

それでは

結局、いつまでもこのゲームから抜け出せないのです・・・。







「そんなゲームをやって来た」と覚えがあります。

そして、そのゲームは「行き止まり」なことも知りました。



では、どうしたらいいのか?




結局のところ、

自分で望む現状を創っていくしか方法はないのです。




自分で変えようと思わなければ、

誰も変えることはできない。





被害者でいることで、大きなメリットがありました。

自分で努力しなくていいという。




わたしは被害者です。

だれかのせいです。

わたしはこんなに可哀想なんです。




そんな様子を客観的にみてみてください。

そういうゲームって、本当に自分を惨めにしてしまいますね。





自分が大切だからこそ、主張しているようであって、

実は一番自分を汚く、傷つけた状態にしている。




自分で自分をダメな子に定義付けしているのです。




それに気づいたとき、

過去の写真の中に自分の嘘が見えて来ます。





情けないカオをして、不満そうに佇む姿・・・。

それはその時の心情を、誰よりも知っている自分だからこそ、

その自堕落を演じた自分の嘘を正視できない。




そんな状態のワタシを誰が好きになってくれるのでしょう。

誰よりも、

ワタシがワタシを嫌っているのですから。








だから、いい!



そんなオバカなことをやってしまったワタシもいい!



赦せない!


けど


赦します。






もう、本当にバカなんだから・・・。





その方法しか知らなかったんだから仕方ないよ。



だけど、今、

違う方法があるんだって氣づいたら、

もう過去の方法に囚われ続ける必要はないですね。




ひとはやっぱり完成体で生きているわけじゃないから、

そんな恥ずかしい失敗や試行錯誤も赦してあげようと思うのです。

そんな甘いこと、赦せないって?



そう、

そう言ってる自分もいるよ。



でも赦すという選択をします。




失敗だらけだよ。

「みんなちゃんと出来ててすごいな~」と思って、

ちゃんと出来ていない、自分とおんなんじようなひとをみると、

訳もなく腹が立ったりするけど、

それもやっぱり、その人に腹が立っているようで、

自分に対して立っているのだろうな・・・。




自分の未熟さを赦すことが出来たなら、

もっと愛というものがわかるようになるかもしれない。



キレイごとでなく、

アタマでわかるものともちがう。






すべてはやっぱり、自分次第、ということになってしまいます。

つまらない結論でごめんなさい^^;



「知っている」、と、「わかる」、には深淵な距離がありますね。

いつもいつも。


それもまた学び。





どんな自分を表したいのか。



汚れ役?

もういいかな。

神聖な意識を持った人?


それも違うな~。




ひとっていうのはもっと中立な存在で、

その

何にもないところに衣装をつけてその役を自らに演じさせている

ような氣がします。




聖人の仮面もつけてみたらいいかもしれない。




その経験の先にあるものって・・・。




ボイジャーに俳優というカードがあります。

魂の表現は無限の仮面なのかな?

その先にあるものは・・・?



見えそうで見えない・・・。


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カードを通じて自分を知り、みんなで変容させていきましょう。

*OSHO 禅タロット ワークショップ 9月5日(金)10::00~17:00

*ボイジャータロット認定講座 8月12日(火)・16日(土)10:00~17:00




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こちらのホームページをご覧ください。


http://amanerica.com