高尾山薬王院。
こちらも修験道のお寺。
天狗さまと縁が深い。

山頂から来たので、鳥居もくぐらずいきなり奥の院に出る。

ちょっとミス?!と思いつつも
大丈夫大丈夫となだめてみる。

奥の院にお参りして、メッセージをいただこうとおみくじを引いてみる。

八十一番小吉。
道合須成合
先憂事更多
所求財寳盛
更變得中和


身の行い天道に叶いたらばよろづじょうじゅすべきなり
はじめうれいたる事もよきことへとへんするなり、これも道に叶う人にいう
もとむるところのざいほう心のままにあつまり来るべし
わざわいもさいわいとへんじて、はんじょうするなり

禍い変じて福となる大吉の運ですが第一句の道に合う時は望みごとの叶う意があるますが、普通人ではこの句に合いませんので万人に通じて小吉となっています。
道に叶う人ならば大吉です。何事も道に叶うように心掛けて大吉運を得なければなりません。


普通の人には何も伝えてないのね(ノ゚ο゚)ノ
天道に叶う行いってなんだろう?

愛から出る事を行うこと。
ハートが開く感覚。広がる感覚。


愛からって何?わかるように教えて。

何かをするのではなくて良い。
静かに見守るだけで良い。
心に愛を満たして、ただそこに在るだけで良い。



何か無くすということでもなく、
遠慮するということでもなく、
人の話しを聞くこと。


大本堂にお参りして、今日来れたことに感謝し、
魂的な成長のコミットとサポートをお願いする。
天狗さんが左の肩にやって来た氣がした。



誰と来るか、どんな気持ちで来るか、
そういうことって大きく影響する。
家族と来た前回とはぜんぜん違った印象を受けた。

お守りを見たり、護摩をお願いしたり
(聖おにいさんで護摩炊きって神さまへのお手紙なんだってあったからね~)、
ぶどう酢をいただいたり、
願い叶うわくぐりをしたり、1万円札を洗わせてもらったり、
そんなことをして薬王院を後にした。


帰りのリフト。
今度は前にも後ろにもずっとずっと人がいない。

急なこう配を下りながら今日一日のことを考えていた。

そんなつもりは全然なくても、
無意識のうちに自分と他人を違う土俵の上に乗せていることがある。
この人にはわからないだろう、
話しをしても仕方がない。
そういう区別は相手と自分が分離しているという幻想の上に成り立つ。
ある意味、自分より低く見ているといってもいいと思うが、
接してみる前にある程度自分の尺度で決めつけて相手をみている。

誰からも学べ。
誰からも学ぶべきことがある。


こうしてほんの少しだけでも触れ合う機会を持てたということは、
そこになんらかの学びのチャンスがある訳で、
それを自分の思い込みだけでフイにしてしまうのは愚かなことだ。

どんな相手でも、必ずギフトを持って現れる。
自分の知らないものを持っている。

人との出会いというものは、
その宝物を見つけ出し、手に入れるチャンスだ。




山を降りた。
いろんなものを置いて来たようで、心なしか身体が軽くなっていた。

自然は偉大だ。
今日ここに来て、本当に良かったと思う。

感謝です!
ありがとう。