こんにちは。どんぐりです。
自分が参加しているフォレスト大楽のコミュニティでは、毎月、多彩なゲストを招いて子育て・教育に関する話をお聞きしていますが、前回のゲスト講師は、Feel度Walk実践者である伊藤(KT)さんでした。Feel度Walkとは、簡単に言うと、集った参加者が街歩きしながら自分なりの発見を写真やスケッチ等で記録し、それを後に参加者同士でシェアするという単純な構造の学びです。
しかし、この学びのフレームを分析してみると、学校教育とは違った様々な観点でのカウンターカルチャーであり、今日の学校教育の閉そく感を破るものとして個人的には大変注目している試みです。これを学校教育と比較して述べてみましょう。もちろん、学校の学びを否定しているものではなく、ただその在り方が一方に寄りすぎているならば、Feel度Walkはいわば対極に位置するため、こうした学習方法をうまく取り入れることによりバランスを保っていけるという視点でお読みいただければと思います。
1)学校は習得型に対し、Feel度Walkは探究型が中心
・学校では学習コンテンツが管理・固定化され、さらに学年進行により、学年があがればそこを習得したことになっているゆえに、落ちこぼれや吹きこぼしといった現象がみられるが、Feel度Walkはあくまで個人の進度・深度が優先なので個人の学びのペースをつかめる。
2)学校はカリキュラムが厳密に管理され、出来レース的に進み、Feel度Walkはすべてが即興でアドリブ
・学校では、教師により計画されたスケジュールでカリキュラム・学ぶ内容やペースが厳密に管理されている。これは学習能率をあげるという効果もあるが、即興的に出てきたものに対処していくという能力形成には乏しい。Feel度Walkでは、まち歩きにより偶然に出会う教材に対し、自分がどう反応するかという適応能力が鍛えらえる。
3)学校は、素材がすべて誰かにより発見された教材を使うのに対し、Feel度Walkはすべてが自己の発見したものが教材として使われる。
・学校での学習素材は、いわばそのすべてがすでに誰かにより発見され、使われたものであるのに対し、Feel度Walkは個人が自己発見するものであり、またその発見を他者が知ることで発見の連鎖が生まれている。
4)学校は、正解/不正解がはっきり提示されるが、Feel度Walkにはこれが正解というのがない。感じたものを感じたままに表現するので、いわばすべてが正解。
・学校では模範解答のように正解が示され、それに沿うものが評価され、それに至らない場合は不正解のレッテルを貼られる。それに対し、Feel度Walkでは、何が正解というものがなく、いわば個人の発見や表現はすべて肯定的に受け止められる環境にある。
5)学校は学びの参加者が学級のように毎回固定されているのに対し、Feel度Walkはその場に集ったメンバーで毎回常に違う。
・学校では学級のように学びのメンバーが固定化され、そこではマンネリや悪い場合はいじりやいじめなどの温床となる。Feel度Walkは老若男女、また社会的地位などの区別なくすべてが学習者であり、沿道の人さえ勝手に参加するなどのことが起きる。いわば毎回違ったメンバーで新たな学習機会に恵まれる。
6)学校では、成績優秀者、手をあげて発言する者が主役になりがちだが、Feel度Walkは参加者誰もが学びの主役
・学校で評価されるのは、成績が良かったり、声が大きかったり目立つ生徒。Feel度Walkでは参加者すべてに表現の機会が平等に与えられ、優劣はない。
7)学校では、常に評価者(教師や友人)から出来栄えをジャッジされるが、Cそうした成績評価のようなジャッジがない。
・学校では、通知表やテスト採点などにより成果評価が常に行われ、個人の学習習得が評価されるが、Feel度Walkでは、そうしたジャッジがないため、気楽に失敗を気にすることなく参加できる。
そして最後に気づいたこと。
どうしても学校や各種スクール、サークル活動などでは、次第にメンバーが固定化していき、新たなメンバーにとっては、「いつでも参加できます。参加は無料です」とうたわれていても、はじめての場に参加するにはハードルがあります。しかしFeel度Walkではそのような敷居が感じにくく、初めてでも気軽に参加しやすい。このハードルの無さは、コミュニティ運営にもおおいに参考になりそうということでした。
今後も、Feel度Walkの運営を探求してみたいと思いました。