長くなりますが、にいちゃんの病気、「起立性調節障害」が発症した頃のことを書き留めておきたいと思います。
小学校4年から野球をやっていて、朝どれだけ集合時間が早くても、ちょっと声をかければパッと起きられる子でした。私より早く起きていることもよくありました。
そんなにーちゃんでしたが、中2の夏から、異変が出始めました。
7月の3連休明けだったか、1日だけ、頭痛いと言って学校を休んだのでした。
ん?と思いました。
その後夏休みに入り、めちゃめちゃハードな毎日が始まりました。
ちなみにこの年は梅雨が異様に早く明け、7月上旬からかなりの猛暑でした。
朝は6時に起き、7時から2時間、学校の周辺道路をランニング。駅伝の練習です。
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9時からお昼を挟んで14時頃までグラウンドで部活。
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14時から16時まで市民プールで水の中を歩くという体力づくりのメニュー。
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一旦自宅に帰ってご飯を食べてから、18時から20時まで塾の夏期講習。
そんな毎日が続きました。
これはうちのにーちゃんがとくべつ頑張っていたわけではありません。
野球部の連中はみんなこんな感じでした。
ようやるなぁ、さっすが中学生、どんなにしごいても元気だなぁ
と感心しながら見てました。
そしてにいちゃんは毎日楽しそうでした。
ただ、塾は「あたまいたい」と言って休むことがたびたびありました。
8月になりお盆休みの直前に、「おなかいたい」と駅伝も部活も休みました。
おや?と思ったけど、よくよく考えれば、無理なメニューを良くこなしていたよ、疲れが出たんだねと思いました。そのまま、お盆休みに入りました。帰省してゆっくりと体を休め、お盆明けはまた復活したかに見えました。
ただ、朝の駅伝練習や、夏期講習は休む日がぽつぽつとあったように記憶しています。
おかしいな?疲れがぬけないかな?と思い始めました。
夏休みの終わりに、数日間の職業体験がありました。そこには、毎日元気に出かけて行きました。
しかし、その翌週、夏休み明けの連続5日間、朝起きられず学校を休んだのでした。
担任は、なにか学校に来られない精神的な原因があるのではないか、と心配していました。しかし私には何一つ思い当たりませんでした。家にいるより学校でのほうが明るく賑やかな子でした。学校も部活もエンジョイしていました。ただ、付き合っていた女の子にこの時期に振られたみたいでした。
症状は、頭痛と36.8度~37.4度あたりをうろうろとする微熱でした。そして、朝起こしても起き上がれないのでした。
かかりつけ医に行っても、風邪かなぁということで、抗生物質をもらったりしていました。
その後は、学校に行ったり、行かなかったりが続き、だんだん行けない日の方が多くなってきました。
私はフルで仕事をしています。朝、にーちゃんの部屋に向かって「今日こそはちゃんと行きなさいよ!」と声をかけて出勤していました。ちょうどこのころ、忙しくて休める状況ではなかったのです。
てっきり学校に行ったと思っていたら、学校に電話もせず黙って休んでいたなんて日がざらになりました。それまで、きっちりまじめに通っていたにーちゃんにしてみれば、どう考えても異常な事態です。
次第に、父親や、日中面倒を見てくれているじーばーに、明らかに焦りと苛立ちが募るのがみてとれました。
私は、朝起こしても起きられない様子を見て、仮病ではない、なにかおかしいとは思っていました。にーちゃんのことは信じていました。
ただ一度、「これしきの微熱だったら大丈夫、行ける」と無理に学校に出してやったことがありました。しかし、通学路の途中で進むことも引き返すこともできなくなり、うずくまってしまったそうです。通りすがりのおじさんから「大丈夫?無理しないで帰ったら?」と声をかけられたと言っていました。「しまった~悪いことした~!」と思いました。2度と無理に出すまいと誓いました。
また、仕事中に保健室の先生から「今ベッドで寝ているので迎えに来てください」と電話がかかってきたこともありました。学校から呼び出しかかるなんて、親になって初めての経験でした。
ただにーちゃんの話によると、一度学校に行ってしまったら、気合でがんばれと言われ、具合が悪くても保健室に行く許可がなかなかおりなかったようです。担任は、体育教師でした。
このことは、にーちゃんが学校に行きにくくなる一因であったように思います。
あまりにも休みが続いたある時、「休んでばっかりでなんなの一体」という言葉をつい、にいちゃんに投げつけてしまったことがありました。
その時、にいちゃんが「一番困ってるのは僕なのに、なんで怒られなきゃいけないんだ」と言ったのです。
ハッとしました。そして、これは決して怠けではないと確信しました。それ以降、にいちゃんを責めることはしていません。
9月中旬頃、かかりつけ医から大病院を紹介されました。
そこで、MRIをはじめとしたいろんな検査をうけましたが、全てシロでした。
最初は、偏頭痛かもしれないということで、頭痛に的を絞って治療して行きましょうという方針でした。このときはまだ、すぐに治るものだと思っていました。
10月に入り新人戦が近付いてきたため、一刻も早く治して欲しいと気が焦ってきました。
その割には医師はのんびりしていて、様子を見て2週間後にまた来てください。などというのでした。そんなペースじゃ新人戦に間に合わないだろ!とそればかり考えていました。
10月に学校へ行けたのはたったの4日ほど。部活へはちょくちょく行き、結局、新人戦の最初のほうの試合は出られましたが、肝心の決勝には出られませんでした。それはとても悔しく、無念な出来事でした。
その翌週、10月最後の土日は山形遠征でした。その日はなぜか早朝に起きられて、片頭痛薬を飲んで、行きました。試合にもちょこちょこ出させてもらいました。あとで聞いたら、バッターボックスではフラフラで倒れそうだったそうですが、にーちゃんはそんなことおくびにも出さず、終始笑顔がはじけていました。
そしてそれが、学校、部活含めて、みんなと過ごす最後の時間になったのでした。
「起立性調節障害の疑いがあります。」
と大病院の主治医から言われたのは、それから約3週間後の、11月18日でした。
初めて聞く病名でした。それから必死でネットで調べ、本を読みました。
病名がわかって気持ち的にはだいぶ楽になりました。怠けではないとはっきりしたので。
ただ、調べれば調べるほど、治療法が確立されていない、思春期を過ぎれば治るが、2~3年はかかる、全日制の高校に行けないかもしれない、そんな事実が次々とあきらかになっていったのでした。