あなたも私も妖怪でした。 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

昨日のお話しの続きですが、その前に。。

 

しばらくぶりにアクセス数がちょっと増えていて。

 

でも見たら1人の方が過去記事を読み漁って(言い方w)、なぁ〜んにも痕跡を残さず読みっ放しじゃん!笑

 

ちょっとホラーじゃない?

特にね、個人的なブログなもので。

私は、他人様の物を読んだらいいね位しますよー。

日本人のマナー、どこか行っちゃった?

 

逆に、何かお探しですか?

質問があればいつでもDM下さい。

 

業務連絡、以上。笑

 

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さて。村の義実家の長兄連中があまりにダサいので、しっかりしろよ!と思った話しの続き。

 

つかつかと、オジさんたちの円陣に歩いてお話ししようと思ったら、大きなアタ粉の袋を抱えた義姉①が「かおり〜!チャパティー作るからおいで!」と、間髪入れずにグイっと腕を掴み、台所に連れて行かれた。

 

私は(冷静にならなきゃ)と深呼吸。

 

私「お義姉さん。この家では皆、アスニ!アスニ!(夫の幼名)って、夫にばかり用事をさせて、自分はただ座ってて、アシーシさんが悪いみたいに言うけど、私の夫ってそんなに悪い人ですか?」

 

義姉、キョトン。

 

私「あなたの弟は、もう小さな子供じゃないです。毎日頑張って働いてくれてる大人の男性です。今日もたくさん仕事しました。」

 

「でも、義兄さんたちも、お義母さんも、アスニ!アスニ!って怒鳴ります。お義姉さん、私の夫はそんな風に言われるような悪い人間ですか?」

 

義姉①「うん。分かった。。そんな事ないわよ。アスニは良い子よ。」

 

私は少しウルウル来てたらしい。見かねて義姉は、

 

「かおり、アイラブユー。アイ・ラブ・ユー。OK?」

 

って、私の肩を抱きしめた。

 

いつも強気でクールな義姉①が、まさかそんな事言ってくれるとは思わず、さらに動揺した気がする。義姉は「落ち着くまで皆と座ってなさい」と言って、私を前庭の円陣の椅子に座らせ台所へ戻った。

 

さぁ、目の前にはオジさんたち。

 

 

オジさんたちと話す時はいつも「①インド人が日本のビザを取って稼ぐ方法」について尋問されるのが嫌で仕方がない。行くなら勝手に行ってくれーと思う。他に話題ないんか?と思ってると「②アスニが若い頃、無責任だった話」を延々とグチグチ始まる。

 

だから①②に持ち込まれる前に、口を切った。

 

「お義兄さんお話があります。聞いていただけますか?」

 

義兄①②③、義母、従兄弟、子供たち、キョトン。

 

私「インドでは、長男が実家の仕事の全ての責任を追うということですか?それでアスニ、アスニ!って、夫ばかりを呼びつけるのでしょうか?この家には3人の姉ともう1人、弟もいます。その弟も今日、結婚してもう立派な責任者ですよね?今日からは、夫1人を呼びつけにするのを、もう、止めていただけないでしょうか。」

 

義兄たち(夫の姉の旦那さんたち)も従兄弟も、基本いい人たちだから話しやすいわー(•ө•)♡って。汗

 

 

義兄①「君は知らないと思うけど、インドでは長男が全責任を追うんだよ。それなのにアイツはいつも実家の責任を果たさない。お義母さんの手伝いをしようともしない奴なんだ。」

 

私「それはどういう事実でしょうか?お義兄さん、もしかして一方の話しか聞かれてないのではないですか?誰がそんな事を言ったのですか?(多分義母がある事ない事愚痴ってる。w)お義兄さんは、夫と私が前回いつ義実家に来たか知ってます?」

 

義兄①「。。。(答えられない)」

 

(甥っ子がコッソリ「5月だよ父さん」と耳打ち。笑)

 

私「先々月ロックダウン中でも通行証を申請して2週間半滞在しました。その時、義弟(サンニ)に大変な事が起こっていました。お義兄さんは知っていましたか?」

 

義兄①「帰って来たのは知ってたよ。うん。。」

 

私「麻薬中毒ですよ!違法のドラッグの依存症になって仕事もお金もなくなって、実家に逃げ帰って来たんです。

 

それがどれだけ深刻な事態か分かりますか?それから私たちがお義母さんと、義弟にドクターを付けて更生を促して来ました。サンニは結婚なんて、とうてい出来ない状態だったんですよ。」

 

(正直今も完全に更生したとは思ってないし)

 

義兄①「それは5月には来たかもしれんが、先月お義母さんが倒れた時は来なかったろう?俺が駆けつけた。やっぱりアシーシはいつも無責任だろう。」

 

私「先月は大変お世話になりました。私たちは、行きたくても行けませんでした。お義兄さんはちょうど村に滞在中でしたよね?

 

ロックダウンで長距離バスも無く、正直これ以上タクシー代は払えませんでした。ちょうど私たちの方でも友人(サンニの悪友。こやつも薬中が判明)がオーバードーズで意識不明になり入院したと聞いて、夫はお見舞いに行っていました。」

 

「でも、その前お義母さんが倒れた時は、必ず毎回夫が駆けつけました。」

 

「いまだにコロナで規制が厳しく、皆が大変な思いをしている時期です。1度のミスで夫を判断しないであげて下さい。9歳で義父を亡くして、出来ない事が沢山あったかもしれません。

 

でも子供の頃の過ちで夫を無責任だと決めつけて、28歳の大人の男性をアスニ!アスニ!と呼びつけにするのも、今後は止めていただきたいです。」

 

義兄①「年少者を呼びつけにするのを止めろって言うのか?ここでは皆、こうやって呼ぶんだよ。愛情表現だ。じゃあ俺はアスニの事をアシーシ・ジ(敬称)で呼べばいいのか?ワッハッハ。」

 

(周りも一斉にワッハッハ。笑)

 

私「そういう意味ではありません。私が言いたいのは、責任ある大人になって欲しいと願うのであれば、それなりに敬意を持って接する必要があると言うことです。

 

年長の大人の皆さんに言いつけにされてばかりでは、本人はまた自信を失いかねません。(ていうか私が聞きたくないんだけど。夫よごめんね。)」

 

「お義兄さんは、今以上に、夫に良くなって欲しいのですか?それとも、良くなって欲しくナイのですか?」

 

義兄①「(質問には答えない)君は知らないと思うけど、小さい頃からアイツは無責任で、家の用事から逃げて来たんだよ。だから俺たちが手伝うしかなかったんだ。」

 

私「それは年の離れたお義兄さん方のおかげです。でも、私も夫と暮らしてもう4年になります。最初はわからない事だらけでした。

 

でも夫はこれまで1度も実家や家庭の様々な責任から逃れようとする事なく、一生懸命やってくれています。私自身も、責任を果たすよう心がけて来たつもりです。」

 

義兄①「アイツは君のため以外は何もしない奴なんだよ。」

 

私「それは全くの誤解です。私自身も夫と協力して実家に何度も足を運んでいます(この1年で6回すよ)。それでも足りないと言われるのであれば、これ以上何も出来る事はありません。

 

私は1人きりでインドに来た外国人です。私と結婚したことで、アシーシ・ジには沢山負担をかけています。私にとっても日々、楽な生活ではありません。その様な状況も考えてみてはもらえませんか。」

 

義兄①「それはアイツの"間違い"だったから、仕方がないだろう。」

 

("間違い"って何?この人私たちの結婚をまだ認められないのかー。。)

 

 

1言多い夫婦漫才でも始めようかな。村ではウケないか。

 

 

義兄①「いや、俺は君のことを無責任だって言ってるんじゃないよ。君は誠実で一生懸命で、君が来てくれた事は全員が喜んでいるよ。ヒンディー語もバハリ語も勉強して、チャパティーもサブジも作れるようになったしね。

 

君たちが幸せであればそれでいい。俺はただ、今後年老いたお義母さんの面倒をちゃんと見るように言いたいだけだ。俺たち(義姉の夫たち)は、この家ではゲストでしかないからね。」

 

「まさかお義母さんが死ぬ時まで放って置くことがないようにな。」

 

(もーさ。お互いだけど、一言多くね?笑)

 

私「そんな風に思う訳がないじゃないですか。。では、取り敢えずは、私の話をご理解いただけたでしょうか?」

 

義兄①「え?何だっけ?アスニ!アスニ!って呼び捨てにしないことだろう?」

 

私「いや、そういう事ではなくて。。。サンニ(弟)も結婚した今、兄弟で責任を持ってこの家を守ると言うことは、ゲストであるお義兄さんたちに言われるまでもなく、自分たちで自信を持って物事を決定して進めて行かなければならないと言うこことです。ですから。。、」

 

と、ここで隅っこで事態を注視していた夫が立ち上がり、義兄たちに何やら説明し始めた。多分私が言葉に詰まったと勘違いして助け舟を出そうと慌てて通訳し始めたんだけど。笑

 

夫が、「かおりはこうこうこう言うつもりで、こう言っていて、つまりは、、」と口を挟んだ途端、義兄3人が同時にワーワーと夫に向かってバハリ語で怒鳴り始め、夫に物を言わせまいという条件反射が止まらない。

 

10秒くらい続いたところで、私、

 

「この状況が、私が話していた元凶です。」

 

そう言うと、一瞬、その場が凍りついた。笑

 

 

代表として話していた義兄①(この人しか英語喋れないもんで)は、急に気分を害したのか、プラ椅子から立ち上がり、

 

「俺が言いたい事を言って何が悪い!」と言い放ち、

 

その辺に置いてあったステンレスカップをカッコーーーンと派手に蹴飛ばして、

 

離れの家の方へと歩き去って行った。

 

 

みんな、目が点てん。

 

そして少しザワザワしたと思ったら、義兄②③、義姉①②③とその子供たちがワラワラと、義兄①が歩き去った方向についてみーんな立ち去って行ったとさ。

 

 

ちゃんちゃん♪

 

屋根に登るオジさまたち。でも話して良かったよ。お互い大変だったこと、対話が足りてないこと、感謝が伝わっていないことが、よーく分かりました。