前世と恐れと慈愛の世界 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

よく分かってないけど、書きます。

 

結婚式への出席準備をしながら、よく分からないけど胸焼けのような、ロックダウンのストレスのような、それとは違う絶望感のようなものが、暗雲のように頭の上に立ち込めていた。

 

これ以上どこにも行き場がないような。

 

下に下に潜っていって、

それが底を打ったんだと思う。

 

 

日曜、お休みの夫への八つ当たりが始まった。

 

インドのコロナの状況、全然良くならない。また都市封鎖に逆戻り。この閉塞感の中、もう4ヶ月息を殺してる。どうしたらいい?私日本に帰れるの?(今帰ったら、君はしばらくインドに戻れないと、夫)私がいないと困る?何とかならないの?

 

そんな悲しそうな顔して

私を追い詰めないで欲しい。。

 

 

この状況で、自殺者が急増しているのも分からなくないわと、私。憧れのボリウッドスターも、素敵な日本の男優も、きっと嫌になっちゃったんだね。私だってもう嫌だもん。どうすればいい?もう何もかもやめたい。飛び降りようか。一緒に飛び降りて。

(心にもない自暴自棄な発言だった)

 

よし、分かった!今行くの?ほら立って。一緒に行くよ!と、夫。

 

え?。。

まだご飯食べ終わってないんですけど、と私。笑

 

夫苦笑い。

 

この後

ぐずぐずご飯を食べながら

夫に怒られていた。

 

冗談でもバカなこと言わないで。

僕だって落ち込んだ事はあるよ。

父さんが死んだ後

学校に行けなくて

先生にも母さんにも怒られて

殺虫剤を飲んだ。

でもあの時は死ねなかった。

病院に運ばれて救われた。

 

「もう2度と同じ過ちは出来ない」

 

初めて聞く夫の告白に、どう答えて良いのか分からず、ドギマギしながら言い訳しか出なかった。

 

。。だよね。私だってそう。私も何回かやらかした。生きる意味が分からなくなった時。私も助けられたよ。警察が来てくれた。親友も泣いてくれた。だから本気じゃない。本当にごめん。

 

でも

 

どうしてこんな気持ちになるんだろう。感謝がない訳じゃない。良い事がない訳じゃない。せっかくインドまで来て、せっかく好きになって結婚したのに。ロックダウンだって4ヶ月乗り越えて、せっかくここまで来たのに。

 

ちょっとした忙しなさに

2、3日瞑想やレイキを忘れただけでコレ。

まだやる事だっていっぱいあるのに。

 

 

疲れてるなら寝なよ。

映画見ながらちょっと休もう。

僕がいるから大丈夫だよ。

 

そう言われて昼寝して、起きて少しスッキリしたら、また準備の買い出しに出かけた。

ここ2、3日、

モヤモヤをやり過ごし

底をついて

今朝、

変な夢から目覚めた感じ。

 

 

インドのチベット文化圏スピティ渓谷Kibber村。

 

 

 

思い通りにならないからクタクタになる。

でもそれは、

「何でも思い通りにしよう」って

そう思うクセがあるからだった。

 

 

せっかく瞑想を習って

執着を手放そうとしてるのに

真逆の事が起きている。。

 

 

月曜。

夫が仕事に行ったら、洗濯や縫い物の合間にインド占星術の出生図を読みたくて仕方がなかった。まだまだ、まだまだ、自分のことすら分からないことが沢山ある。もう4年も見てるのに。

 

「前世からの因果で」

「カルマを解消するために」

「運命として受けついだ苦しみ」

 

そんな配置のいくつかに目が行く。

 

何なのこれ。

私の現生と関係なくない?

どうすればいいの?

いくらポジティブに

仕事を頑張っても

結婚生活頑張っても

家族のために色々しても

問題はなくならないの?

 

 

答えが見えるまで気持ちが落ち着かない気がした。インド占星術はただの星占いではなくて、ヴェーダ哲学、仏教哲学に基づいている。

 

解脱に向かうこと。

生きとし生けるもののために

今生を捧げること。

 

いつもいつも

そんな記述に行き着いて

そんな事出来ないよと、腹の底から恐怖が反論する。

 

言い訳はいつもこの

えぐり取られるような痛みと

湧き上がる恐怖。

 

「この恐怖は、私のものじゃない」

「消えない罪悪感は、私のものじゃない」

 

ふと前世って何だろうと思った。

この前見た酷い夢は?

 

前世で私、罪を犯していないだろうか。

 

よく、分からないままに書いている。

 

 

東洋哲学では

前世は確かに存在していて

私たちは輪廻転生し続けていて

解脱を目指すことが

生きることの意味だという

 

生まれて来た意味

苦しみがやって来る意味

そしてたまに、

自由になりたくて仕方がなくなる意味。

 

夫と飛び降りている場合じゃなくて。

 

自分の苦しみから自由になって、

全人類の持つ苦しみを

解放する業へ向かうこと。

 

 

夫は安定していて強い人なので

いてくれて私は本当に助かっている。

 

私はまだまだ生きていたい。

尽きないモヤモヤの闇の向こうに

本当は生きる意味があること、

それを信じるためだけに。

 

 

先に去る人たちの気持ちが分かる。

誰にも分かってもらえないと絶望したり

途方もない光の世界に近づきたくて

地上で所在を失うような気持ち

 

苦悩も絶望も天からの祝福であると

ある占星術の先生がおっしゃった。

きっと、その通りなんだ。

 

悩んだり苦しんだり

辛くなったりすることぐらいしか

私に取り柄はない気がする。

 

仕事で認められることとか

仲間に入れてもらうこと、

沢山お金を稼ぐことでしか

自分を肯定できなくなったり、

非難されず無難でいることで

心の中の何かが疲弊したり、

そういう昔の生き方には

私はもうあまり

時間を使いたくない

 

変わろうとしなくても

変化は訪れる

 

抵抗しても抵抗しても

本分には引き寄せられる

 

無理にポジティブにしなくても

痛みの先の光が見えているから

悩むし苦しむ人が必要で

それだけのことなのに

 

 

 

 

今日のチベット仏教の瞑想は

苦しみに抵抗するのではなく

もっともっと受け入れ

引き受けるという練習

 

 

ダライ・ラマ法王は、

この地上の生きとし生けるものが

苦しみと共にある限り、

(転生して)地上に残り

苦しみを解放し続けると

当たり前の事のようにおっしゃる。

 

 

私たちはどうして

人としての慈愛から遠く離れて

何を築こうとしてるんだろう?

 

私は良く分からなくなっている。

 

違う世界に生きたいという思い。

その行く手を阻む恐怖なんて

本当は、私のものじゃない。

 

昨日はなかなか眠れなかった。

気がつくと節目の新月だった。

 

これからも分からないままだろうか。

 

私の苦しみを

夫は密かに分かっていた。

 

絶望感や無力感は

なぜか自分だけのものじゃない。

 

自分を見失いかける恐怖も

生きとし生けるものが

分かち合う苦しみの1つ。

 

見えそうで見えない光を

探す事をあきらめなくて良いと思う。

 

周りに分かってもらえなくて良いと思う。

無理に変わらなくて良いと思う。

 

私たちが命を受け継ぐ意味でさえ

よくは分かっていないことばかり。

 

月並みだけど、

「一人ではない」と思う。

 

孤独に見える私たちは

本当は

慈愛や共感、

そして恐怖や苦しみで

1つにつながっている。

 

 

旅先で会って2日目の夫。いつもこっちを見ててくれて、ありがとう。(世界一標高の高い村、Komic村の修道院にて)