最近のこと。 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

ご無沙汰しております!

 

先月はブログが全く書けず。笑

 

と言うか、書いても書いてもアップするに至らず。という感じ。

 

それで一気に書き出したらまた長文になりましたが、良かったら読んでみてください。

 

 

 

なぜか先月は実生活でも、やりたい事はあらかた準備不足だったり、少なからず失敗したり。夫も新しい会社の仕事のプレッシャー(売り上げノルマ)から、隙間時間に出かける予定も立たず。

 

結果、大反省会みたいになっていた。汗

 

それがまた蠍座での水星の逆行期間とピッタリ重なってたから、びっくり。やっぱり宇宙と連動してるー!笑

 

 

でも、抜けて良かったーーー。

 

 

水星が順行に戻った日、クラフト・メラというお祭りに出かけることができた😃
 
その前日にはKちゃんが、私の誕生会を開いてくれて!😍嬉しすぎて顔キンチョーしとる😄

 

愛情いっぱいの手料理と、ハンガリー旅行のお土産ワインも!✨ユリの様な?気品ある香りがして、最高においしかったーー😂💕
 

 

 

でもでも。普段でも、うまく行かない事って必ずあるもの。

 

もしや、いつもはまぐれで何とかなって来たやり方に、もう一押し、改善できる力を付けるためにやって来るのか?とさえ思えてくる水星逆行(失敗ラッシュ)。

 

 

必然的に、普段は外へ外へと向いている意識が内側に向いて、誰に言われるともなく改善せざるをえない状況になる。

 

「あ、間違ってた」

「お、やり方変えよう」

 

って、

何の滞りもなく、さっさと出来ればいいのだけど。

 

 

以前は、人に指摘されたり自分で間違いに気づいても、まずは恥ずかしさとか、恥自責が先に立っていた。

 

何やってんだーといいだけ凹み、でも人に当たるのはこらえたりして余計こじらせ、その気晴らしに家事やご飯作っていた根暗さ加減。

 

反省が現実に反映される以前にエネルギーを使い果たす。

 

でもこれ、「そんな無駄な事、しないようにしよう」と気付いていても、それだけで出来るものではなく。

 

多分、

もっともっと、失敗しなきゃいけなかった。

恥も、もっといっぱいかいて。

自分でやって、結果も負って。

もっともっと、学ぶ必要があった。

 

今回は、そのための勉強だったかなと。

 

 

メラで買った、あったかフェルトのスリッパ。この買い物は、良かったんだけどなー。

 

 

具体的には、一人で行った買い物で自分なりに精一杯値段交渉したつもりだったのに、結果的にはかなりオーバーチャージされていて、その事に夫が気付いて指摘・実証されてしまったことや、

 

家具の卸売店で気に入った棚を見つけ購入を決めたけど、お店の人と夫の値切り合戦に気を取られて確認を怠り、リヤカーで運んでもらった後でサイズが大き過ぎたことに気付いた事、など。

 

そんな事くらいで。。。だけど、

1つ1つの買い物や用事が、私にとっては

山場を乗り越えるような心境になることも。

 

 

インドの下町という、今までの人生とは違う環境の中で、明らかに考え過ぎて固まっていた。

 

人目が気になって固まり、

コミュニケーションが取れず固まり、

期待が外れて固まり、

失敗を恐れて、またさらに固まって。

 

 

それは「日本だったら。。。。」って、

 

思い込みに甘えていて、まだ乗り越えられていないから。

 

どこかで(そうだよね、ヨシヨシ〜)と、自分に甘えている。

 

結果、4年目なのに自由に外出できない、言葉もちゃんと話せない、どこに行っても相手と対等に渡り合えない=撃沈している。笑

 

 

今までの感覚に胡座をかいて、今できる努力をしていなかった事にパッカーンと気づいたわ。笑

 

 

今日の三丁目の夕日。夫がいないだけで、何故か自由な気持ちに。笑

 

 

「インド式の暮らし方なんてわかんない、分かりたくない」と、見て見ぬフリをして来た家事の数々。

 

「日本と違うからイヤだ」といくら夫に訴えても、自分の内部でストライキ起こしてても、

 

引っ越せる訳でも帰国出来るわけでもダスキンさんが来る訳でもなく、家事の量は減らなかった。笑

 

簡単・便利・時短、みたいな社会で生きて来た私。

 

それはインドの下町では、通用しない私。

 

 

 

 

毎食、新鮮な野菜から食事を手作りすることにしても、毎日床を拭き清める事にしても、凍える寒さでも毎朝、お風呂に入ることも。

 

そんな時間がどこにある?って

 

フツーに思っていたんだけど。

 

その(フツー)は、ここでは全然、良いことじゃなかった。

 

この場所では、時間をかけてやらなくては健康を害してしまうことがいくらでもあるのだろう。

 

 

 

働きたい、出来る能力を活用したい、その上労働の対価もうんと?貰いたい、社会で認められたい、人にも慕われたい。(しかも家事は時短で)

 

その欲求が全て叶わなくなってから、幸いなことに、時間だけはいくらでも出来た。

 

なのに、それでも悶々としていた。「本当は」こんなんじゃない」って。笑

 

 

気が付いたら、最愛の夫のために早起きしてチャイを淹れることもしなくなってた。休みもなく遅くまで働いて、帰ってくる夫に笑顔の一つも向けていなかった。

 

(あーあ、また1日、大したことも出来なかったな)(忙しすぎてどこにも連れて行ってもらえないし)と、自分の事ばかり。

 

これを書いている今は、夕暮れ後で外は暗くなった頃。そう言えばなのだけど、いつもこの時間になると、心がソワソワ、寂しくなる。早く夫が帰って来ないかなぁ、一人は嫌だなぁ、夕飯は気に入ってくれるかなぁ、とか。

 

でも今晩は夫、出張で居ない。

 

今、全然ソワソワも、寂しくもない自分に気付いた!笑笑

 

色々とやっぱり人のせいにして、夫のためと言いながら、インドが大変だからと言いながら、言い訳にして自分で手を抜いていきたんだなぁー。

 

(夫が心配するから)と外出を控える時があるし、(夫が羨ましがるかなぁ)と、買いたい物を我慢する事も度々ある。

 

でも実際には外出して夫に何か言われた事も、何か買って羨ましがられた事もない。

(リシケシでヨガトレーニング300時間は、さすがに止められた)

 

全部、根性無しの言い訳。

夫を悪者にしてるよなー。

 

(実際は自粛・自警してるだけなんだよね)

 

 

何でもインドと夫のせいにするのは良くないね。笑

 

 

半ば引きこもりつつ、出かける度にやらかしていた先月、それでもやっぱり何かは頑張り抜きたく。

 

ほぼ毎日、食事を手作りし、洗濯を欠かさなかった。いらない物を断捨離、大事な物は出してちゃんと飾ったり。これまで怖すぎてノータッチだった、タイル磨きを日課にしたり。

 

ほんの少しだけど

「自分のために頑張れること」を増やしている。

 

 

外での失敗の数々も、振り返ってみていた。ヒンディー語がまだ片言しか出来なくて、結局ヒト(夫)任せにして思い通りにならないのも、「自分事」として考えてないから。

 

「(誰か)のために話せるようにならなきゃ」と思えば思うほど、ツーっと意識の遠のく語学学習。笑

 

自分の住む場所で、自分の思っている事を大切にして、相手に伝えられるようにならないと、どんな社会でも大切にされようがないし、受け入れられないのは同じだろう。

 

曲りなりにも語学を教えていた人間が、教えてきた根っこの部分を実践出来ていない。

 

それに私はやっぱり、英語が通じない人と通じたい!と、思っているのだ。

 

インド人の夫と出会う以前から、自分の視野を広げる必要性をヒシヒシと感じていた。

 

先進諸国や欧米の文化とは違う視点を、自分も実感したい。

 

「後進国だ」「遅れている」などと言われる文化には、伝統で守られてきた価値や、人間の普遍的な知恵や、発展で失われた賢さがあると信じてやまない。

 

そこに希望を見たいのだ。

 

どんどん便利に時短になり、何でも出来て手に入り、何処にでも行けてしまうこの世界の未来に、

 

リアルな労働の感覚や、身体感覚、時間の感覚、生きている実感を。

 

それでヨガを学びにインドに来たことを、初心に帰って思い出したい。

 

 

「インドは遅れている」と、インド人自身さえも口に出して言う。「インドこそNo.1」と強気な心の底に、本音や不安を聞くことがある。「日本より50年は遅れているだろうね」と、具体的な年数を言う人も。

 

実感なのか、想像なのか。

 

すっかり初心を忘れてインドの苦労に同調することもある私もまた、不安な時は、やっぱり他(日本)と比べた劣等感が暴走してしまう。

 

年収が少ない、住環境が悪い、家事が重労働、職がない、言葉が出来ない、と

 

「恥ずかしさ」にまみれて

一見ソツなさそうな理由で

でも、それらを隠れ蓑に

自分で自分の手を、抜いて来ていた。

 

 

満足していないのなら、ただコツコツと

変えて行けばいいだけなのに。

 

どんな環境だって、堂々と生きている人たちはインドでもいくらでもいる。

日本だって私の両親の時代は、戦火を生き延びてゼロから成り上がったのだ。

 

周りと比べて過去と比べて恥じることに、もう意味を感じない。誰にでもある幼少時の心の傷を反芻しているだけで、大人になりきれていないだけ。

 

もう、夫のためでもなく、インドがどうだろうと、結婚生活を死守するためでも、親戚に嫌われないため、近所に村八分にされないためでも、そんなの関係なく、

 

何ひとつ現実的じゃない言い訳ををやめて、

(そろそろ現状把握出来てきたので)

 

自分が何だったのか、

どんな良いところがあったのか、

どんな風に伸び伸びやりたいのか

 

もう一度取り戻して、目標を持ってそこに取り組みたいと思えて来た。

 

それが、最近の一番の成果です。

 

パイナッポーでふざけてれば良かった新婚時代は、もう、終わった気がする。(またふざけるけど)