夫はパソコンショップで働いている。
夫の働く店の話は面白い。メーカーのプロモーションでクリケット選手が来たり、○ャノンの視察で日本人の役員の方が見えたり。
ここぞとばかりに、「コンニチハ!って挨拶したよ!喜んでたよ〜。」って電話をくれる夫。楽しそうで良かったね〜と思う。笑
店のオーナーはシーク教徒のおじいさん。長年の付き合いで顔が広い様で、あのボリウッドスター、サルマン・カーンと「友だち」で、電話をかけることもあると言う(毎回は電話に出ないみたいだけど)。
そいえば私たちがインドの婚姻登録をした頃、婚姻登録所の窓口の人がパソコンを買いに来て「いっぱいオマケしといたよ!これで早く登録が済むといいね!」と夫が言ってたけど、確かに登録自体は問題なく済んだっけ(警察に賄賂要求された以外は)。
インドはかなりの癒着社会。
多くの事が、知り合いやその知り合いを介して成されていく度合いも、日本とは違ってる。
袖の下
根回し
融通する
施す、、
等という、日本ではもうあまり使わない概念が、日常的に行き交う。
私は「なぁなぁ」な感覚が苦手な人。家族だから特別とか、この子だけとか、そういうのが苦手。私が区別しなくてもご縁やタイミングが繋がる時は自然にあると思ってる。誠意はあるけど忠誠心は特にないかも。
だから実家のある田舎の組織はそんなに合わず、お局さまの言ってることの意味さえ汲めず、流行りの社畜にもなれなかった。。w
で。
夫が先日突然、「アンティーが学校見に来てって言ってたよ!」と言い出した。突然なので、どこのアンティ?何の学校?と???となる。
どうも夫は、私が日本の幼稚園で英語を教えていたことを知ってるので、こっちでもそんな仕事がないか気にかけてくれてたらしい。それで、知り合いでパソコン店の常連さんが学校を運営してると聞いて、「日本人の妻が、お宅で働きたいと思います!伺ってもいいですか?」と、話を進め(てくれ)たらしい。
こういう時のインド人の話の速さは、日本の何倍速だろう?「スラムの貧しい子供たちに英語を教えて欲しいんだって」と夫。「とにかく明日の朝来てほしいって言うから準備してね」と。
確かに私、子供は好き。そして英語も好き(E○CジュニアのCM?笑)。スラムの事も気にならないこともない。そして何より、暇で死にそーでもある。。。いや、でも。。。?
グルグル考えそうになったけど、そんなスキもなく「アンティ」から夫に電話が。
「ヘロー?アシーシの奥さん?名前は何て言うの?明日、楽しみにしてるわよ〜!きっと気に入ると思うわ。じゃ10時にね!住所送っておくわ。」
イマイチ状況が飲み込めず、適当な相づちを返す位しか出来ていなかった私。。。気が付くと明日の朝に、非営利の慈善団体が主催する、スラムの子供たちが対象の幼稚園を見学することになってた。
何でも前日に決まるインド。笑
そろそろ慣れて来たけど、情緒的にはまだ何拍子も遅れるわ。
見方を変えると、明日のことなんて決まってはいないということ。うまく行かない日々が続いていても、どこか自信をなくしてたって、明日は突然!やって来る。笑
だから、どんな自分であってもいいって、特にここインドでは、自分に優しくおおらかでいたい。
自己実現って、必ずしも狙ったことばかり実現するかと言うと、うーん、そう思ってた頃は大抵バーンアウトしてた。日本では私、何でも独りでこなせるようになるのが自立と思ってて。
周りに感謝しながらも、もっと委ねて、もっと手放して、もっと信じて任せて良かったのかもしれないって、インドに来て思った。
そもそも、1つの仕事を最初から最後まで自分でやるインド人とか、まだ見たことがないのよ。。その分周りに干渉されるけど、夫を見てるとどうも、
人の話は半分くらいしか聞いてないし。笑
正直戸惑う気持ちもあるけど、全部自分で背負わなくてもいいなら(笑)インドの人たちと一緒にお仕事、出来るだろうか。。。w
。。。、と、半分運を天に任せる気分で、明くる朝、スラムの学校へと向かったのでした。まだ見ぬ世界と、インドですっかり自信を失くしてる私にも、まだ何か出来ることがあることを祈って。