インド生活3年目にして昨日初めて、ここチャンディガールに住む2人の日本人女子と集まることに!
いやーーーーもう、
インドでこんな楽しい事あった????
ていう素敵時間でした。
1人目のKちゃんと出会ったのは、彼女がインスタグラムで「#チャンディガール」のタグ付き投稿をしてたのを偶然発見!ドキドキしながらメッセージしたのがきっかけ。何しろ在住日本人(特に女子!)なんて、観光地でもないこんなインドの地方都市には皆無と諦めて黙々と2年目のインド生活を送ってた頃だったから、半分夢だと思ったよね。笑
Kちゃんのチャンディガール生活はとっても前向き!彼女もしばらく日本人女子は自分1人だと思ってたらしいけど、それでも積極的にSNSやブログで発信し続けることでどんどんご縁が繋がって行き、何と日本人会として今では数名が集まる程に!優しい大和撫子風の彼女のどこにそんなバイタリティーが?といつも感心してしまう。
Kちゃんのブログはこちら↓
そのKちゃんが今回、3週間前にこちらに引っ越して来たというAちゃんと一緒に現れた。笑顔の素敵な明るいAちゃん。
そんなKちゃん、Aちゃんとまずは近くのフードコートへ。このブログではお馴染み、Subway で軽くランチ。素敵女子の2人がきゃっきゃと楽しそうにメニューを選んでいるのを見て、
ええなぁ~女子は。
と、しみじみしている自分に気付いた。その位、この街で女子(しかも日本人)が3人も集まって出かける機会って一切なかったもん。それにしてもAちゃん、こっちに来てひと月経ってないとは思えない馴染みぶり(可愛いインドのクルタ着てるし)。聞けば海外生活は長く、タイ、オーストラリア、その後がインド。
KちゃんとAちゃんは既に姉妹みたいに意気投合してて、打てば響くような会話っぷり。気付けばインド人ヤングの集うフードコートで、日本語で話しまくり、爆笑しまくりの3人でした。それから皆でKちゃんのご自宅に移動し、憧れの駐在員生活を絵に描いたようなお宅にて、日本からのお菓子を囲んでまったりティータイム。
あーーー、良い。
もうオッサンの呻きみたいな表現しかできぬ。
そこからノンストップで数時間、北インドの田舎街にリトル・トーキョー(て何?)でもオープンした?とばかりに、女子のお喋りは果てしなく続いた。Kちゃんと私はお互い、1人きりだと思ってた時期や、まだインド生活に馴染めなかった時期のこと(継続中?)思い出していたかも。Aちゃんが人生の新たな1ページにワクワクしている気分が伝わって、私は何だか初心に返るようだった。
そして何と言っても妙齢の女子2人、それぞれのライフ・ストーリーは色鮮やかで、可愛らしい外見からはちょっと想像だにしない程、波乱万丈。でもどこにいて何をしていようとも、自分たちの幸せを諦めない、底抜けの明るさと芯の強さは一貫してた。やっぱり、日本の女性たち。私はそう感じたかな。
それから、Aちゃんが言ってた言葉にキュンと来た。「私たちってスゴいね!だってそれぞれ、全く違った理由でインドに来たのに、こうやって出会って、何時間もお喋りしてるなんて。」
本当だね。もう、奇跡だよ(泣)
きっとKちゃんが声をかけてくれなかったら、私の「この世界に1人きり」感は悲壮さを増すばかりだったろう。下手なポエムも生まれない。こんなに素敵な友だちができて、助け合いながら楽しいインドライフが送れること。下町三丁目に引き込もってたら一生知らずにガンジス川(の支流ね)に流されて終わってた。(←1部誇張あり)
たとえ1つとして共通点がなかったとしても、日本人というだけで一瞬で繋がれてしまう程、私たちの祖国の懐は大きくて、温かい。
1人ぼっちのインド人妻になって2年、少しずつインド社会に受け入れられていく中でも、国や文化の「優劣」を基準にからかわれることもなかった訳じゃない。でも私は幸いなことに、自分の生まれを疑うことはなかった。それは日本人としての誇りを失わず、謙虚に内外に献身してきた先人や仲間たちのお陰。本当に私たちは恵まれている。
国際結婚しても、国籍は変わらない。奇しくも先日の婚姻届で私は自分の姓も変わらないと知ったばかり。そんな出来事はここインドでも、私は私のまま、誇りを持って生きて行けと言われてるよう(姓を変えても誇は持てます)。熱血教師だった天国の父なら、そう言って激励するだろうなと、ふと思ったり。
3年目の渡印から婚姻届が受理されて以来、義理の姉たちの家で初めてのラキ(義兄弟の絆を祝う祭事)をお祝いしてもらい、ようやくインドの家族全員から受け入れられ始めたことを感じたり、女神さまの夢とか見ちゃったり、アパートの大家さんが大人しくなってたりラッキーな事続き。
で、昨日の女子会!あの女神さまが心配せんでいいと言った意味は、これだった違いない。笑