「どうせ」君と、幸せになる。 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

先日もインドの夫からいつもの様に連絡が。いつもノンビリなのに、焦っている様な速い口調。

 

「結婚式の日取りは2月だからね!」

 

うん、聞いた。

 

「今週末マミ(義母)がチャンディガール(義姉の家)に来るから、式の打ち合わせをして来るよ!」

 

は、はい。。。(早くないか?)

 

「マミジが、嫁入り衣裳はレヘンガ1着、サリー1着、パンジャビスーツ1着でいいよね?って。」

 

あ、は、はい。

 

「マミジが君にゴールドの指輪とイヤリングを作るから、好きなデザインを選びなさいって。」

 

え。いいよ別に。いらないよ。

 

「そんなことないよ。君はいらなくても、ボクのお嫁さんには必要だよ。」

 

はぁ~~。。。

(誰と結婚するつもりだ?)

 

 

色々な関係性での婚姻があり、様々な形の結婚式がある中で、確かに私は「自分たちが幸せならそれでいい」とだけ思って今の生活を送ってる。

 

それで精一杯なのだ。

 

 

周囲が私に期待してくれている事、家族が願ってくれているもっと大きな幸せにさえ、思いを馳せる余裕などない。

 

 

不思議と私は

 

いつも追われるような

逃げ切りたいような

2人だけの世界

誰にも知られない場所へ

ゴールしたいような

 

無意識の衝動がある気がする

 

 

誰にも何も言われたくない、そんな思いは責任感とも取れるし、健康的な場合もあるけれど、私の場合はやはりちょっと違う気がした。「誰かに何か言われる」耐性がとても低いから。

 

 

 

ここのところ、日本からインド渡航のための準備をしていても、うまく行かないことが続いていた。市役所では婚姻届と用意した書類を受け取ってもらえず、今回はインド大使館から「配偶者」ビザが発行してもらえないことが判明し、インドへ郵送した保険給付申請のための診断書がまた、郵送途中で消えたことが分かった。

 

運のない時も諦めてはいけない。

 

そう決めているのに、やっぱり凹む。

 

同時に、怒涛の手続きと渡印前の通院ラッシュのために、平日に決まっちゃった仕事の打ち上げ(ススキノ)には出向けないし、友だちの経営するペンション(ニセコ)へも、今年は行くのを断念したり。あとは夫が「アダールカードの住所をまた変更するのが面倒」と言うことで、せっかく見つかったアパートへの引越しを断念してしまったことも、納得行かなかったり。。。泣

 

 

 

 

でもその間少しずつの進展もあり、婚姻届はデリーの日本領事館で提出する目処が立ち、ビザは今年の2月に観光ビザから切り替えていた配偶者ビザ(11月まで有効)で入国できるということに。

 

歯科も近所に良い歯科医師が見つかって(厳し目だけどw)歯科問題は解決、あと探さなくてはならないのは婦人科のみ(以前のかかりつけ医が私のインド滞在中に廃業してしまった)。

 

 

いっとき、四面楚歌に思えたとしても

1つ1つ諦めないで進めば大丈夫

 

 

ようやく、ぼんやりとでも先が見えることに

嵐のピークは去ったのか?とまだ半信半疑。w

 

 

「上手く行かない」ってもがいてる時、

本当は上手く行ってる「もう半分」を

不思議と完全無視してることって、ある。

 

 

今年はキャンセルが出てお仕事半減したのに、その後急に人員が必要になって他のポジションに呼んでもらえたり。忘れてたけど、これって

 

1ラッキー。

 

そのポジション、他の誰も得意とする分野ではなかったため、半ば丸投げを受けた形だったけど、私にとってはやりがいも面白味も十分に感じられて、自分の得意分野を広げられた実感があった。

 

2ラッキー。

 

 

多分こういうラッキーのカケラを、意気消沈して見落としている場合ではないのでしょう。それはどこの国の住人だろうと、誰のお嫁さんだろうと、変わることのない「私」のキラキラ。

 

 

 

 

 

そして今朝目覚めた時、ふとした気付きがあった。

 

「どうせ わたしには むり。。。」

 

そんな風に思っていない???って。

 

 

 

 

思っているんだよね。事務手続きがうまく行かない、そんな一連のことで、くじけそうになっていた。それで無意識に「=きっと私にはムリ」っていう思いがこのところ、低空飛行でホバリングしていたんだ。

 

 

だから

 

結婚式の日取りが決まったことも

花嫁衣装を用意してもらえることも

結婚指輪をプレゼントされることも

 

 

逆に「負担」に思えていた。「どうせ」な私には、必要ないって。そこにどんな憶測の幼稚で拗ねたロジックがあるかと言うと、

 

 

どうせ期待に応えられない

どうせ無駄にしてしまう

どうせ似合わない、とか何とかw

 

(↑書き出してみると相当ヒネくれてる。笑)

 

 

まぁね、「誰にも何も言われない所で自由に幸せになりたい」という秘めた妄想がある私らしく、責任逃れ、怖気付き、チキン感漂う納得の深層心理。

 

マリッジブルーなんて書くと擁護されてしまいそうだけど、元をたどれば自分への信頼の欠如、「恐れ」に負けてしまっているに過ぎない。

 

 

自分に負けてるのはイヤだなぁ。

今朝のモヨっとした目覚めの後

そんな風に感じた。

 

 

何の因果か?は、分からない。それでもたまたまインドという異国の、割と辺境の地に住む心構えを少しずつだけど築いて行って、

 

環境の大移動に適応しようともがき、結婚という人生の大きな選択をして、好む好まざるに関わらず、大小さまざまなハードルがこの先も目白押しなのは確かだろう。

 

だからこそ

 

望まない結果に甘んじるのではなく

望む結果を

創り(ヒネリ)出さなければならない

どうしても(笑)

 

 

運命だろうが宿命だろうが、大きくは「自分」が選んだ道らしい(少なくともヨガやインド占星術では)。自分が好きで選んだ物を、マズイと言って食べる程バツの悪いものもない(でもない?)。

 

過去から逃げまわってたら結果

ここへ辿り着いちゃったとしても

 

「ただ、幸せになりたい」

 

その思いだけは本物だろう。

 

 

私は「インドになんて行っちゃって、不思議」ってよく言われる「変な」自分も「逃げてきた」かもしれない自分も、「夢を抱いた」自分も「やっぱり幸せになりたかった」自分も、全部ひっくるめて今、引き受けたい。

 

 

そうしたらきっと、どんなハードルも、どんな異文化体験も、どんなにハードでブルーな時期も、そのうちに乗り越えられると信じている。

 

どんな経過や結果が来ても「私の人生だった」って幸せに笑ってる、未来の自分の姿を今、見失わないでいたいと思う。そして今ある幸せも。

 

 

「どうせ」君も、また来るだろう。

 

やった事ない事だらけだから

自信なんてそうそうない(笑)

 

 

だからどんな弱っちぃ奴も、後ろ向きな人も、過去からのアレも、幸せを掴もうとすればする程に遠のく気がする恒例のアイロニーも、私の中の御一行様をみぃんな引き連れて2週間後、

 

やっぱりインドに帰るのでしょう(笑)