母と娘って、面白い関係性^^
同性ですし、いろいろなことに対して偏見や固定概念を植えつけられる存在でもあります。
私の母はどちらかというと天然ボケでして、長女の私がしっかりしなきゃとずっと思ってきました(笑)
しかし母は本当は頭がいいのだけれど、天然ボケという戦略を使っていたのですね。
私は心のどこかでお母さんを助けたいという欲求があったようです。
いつもはジョークを言ったり、日常を楽しんでいる母です。
でも家に帰ると、日常のこまごましたものを愚痴のように言っていたりするときもあります。
私はそんな母をみて、お母さんは幸せじゃないのかな?と心の中で思っていました。
なので、母が幸せになるにはどうすればいいのかということを前提に、
「こうすればもっと楽に生きれるかもよ!」ということを押し付けがましく、言っていました。
ある日、母とお茶をしていたときのこと。
いつものようにおどける母をみて、私はすこし突っ込んだ話をしたい欲求に駆られました。
こんな風に話を切り出してみました。
私「私はね、いま幸せなんだ。何があるから幸せという外側のことじゃなくて。
何にもなくても幸せなんだ」
そして「お母さんは今幸せなの?」とたずねました。
私はお母さんから
「幸せ」
という言葉を聞いたことがなかったので、この質問にはお母さんはまともに答えてはくれないだろう…と予想していました。
そしたら、思いも寄らぬ言葉が返ってきたのです。
母「ママは幸せだよ。子供も毎日楽しそうだし、パパも元気にやっているし!
ママはね、明日死んでも悔いがないよ」
と、言ったのです。
期待もしていなかったその言葉に、こみ上げてくるものがありました。
悔いがないんだ…。
私の中で何かがすうっと終わった気がしました。
私はそれを聞いて、もう自分の役割は終わったのだなと思いました。
勝手にジャッジして、勝手に助けようとしていたけど、こちらの完全な思いこみでした。
誰からも母を助けろなんていわれたことないですし、もちろん本人からも頼まれたこともありません。
母からその一言を聞き、自分の中にせき止めていたものがあふれ出し、いつ自分(私)が亡くなっても後悔がないと心から感じました。
私は母のために生きていなくてもいいのだと腑に落ちた体験でした。
お母さんの子供として生まれて来れてよかった。
誰も人は人を救えない。母でさえも。
だけどこちら側が助けたいという想いから自由になったとき、
お互いを自由の輪のなかに解き放つことができる。
さて、今週末は恋愛・パートナーシップ変容セミナー♪
今からとってもとっても楽しみ^^
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