週末は毎年恒例のお寺でお施餓鬼
土曜日は、本堂の飾り付けなど準備をしていました。
寺に嫁いで、初めは何が何だかよくわからず、教えてもらいながら、あっという間に時間が過ぎ…。
またまた今年のビッグイベント「お施餓鬼」がやってまいりました
檀家さんたちも本当にいい人たちで、山梨に帰ってくると、暖かく迎えてくれ、いつもたっくさんのお手伝いをしていただきまして…m(_ _)m
本当に頭が上がりません。
そんな和気あいあいとした準備の中、本堂の飾りつけをお寺の役員の方々と行っていた時の話。
私の視線は、Sさん81才の背中にくぎ付けに…。
いかにも重そうなお塔婆立てを一人で抱えて、運んでいらっしゃいました。
みんな幸せそうに生きているけど、今までもいろいろな苦労があって、いまここにいらっしゃって、こうしてみんなと同じように生きている。
あー。本当に生と死、誕生と死亡なんて言葉で説明できるもんじゃない。
と、なぜ生と死が繋がるのか何だかわけがわからないけど、
そう感じた瞬間、
「全て美しい」
と込み上げてきて、じーんと一人で感動…
役員の方が飾りつけの話をしている最中にもかかわらず…(笑)
誰が亡くなっていて、誰が生きていてということは関係なくなる次元があるのです。
生と死に関して深い気づきがあり、その瞬間自分の内側でヒーリングが起きました。
これはSさんの背中を見ていたほんの一瞬の出来事。
そうなんですよね。ヒーリングって一瞬で起こるのですよね。
病気や怪我などにアプローチすることだけがヒーリングではなくて、本来の自分に触れた時に本当のヒーリングが起こってくる。
ヒーリングはテクニックではない
私たちは肉体だけの存在ではなく、肉体を取り巻く大きなエネルギー体があるからこそ、そのエネルギーを共有することで、自分の中に相手として表現している場所を見つけることができたなら、それがヒーリングへと変わる。
人と人の繋がりは本当に豊かさそのもの。
どんな場所、どんな相手、どんな出来事でもヒーリングは起こる。
日常そのものが奇跡なのですよ。