ずいぶん間が空いてしまいまってごめんなさい。

まだ読んでくださっている方、ありがとうございます。

 

間もなく娘が亡くなって10年という月日がたちますが振り返ってみて特別に思える夢のお話をしたいと思います。私は亡くなった方が出て来てくれる夢を見ることがありますがそれは魂レベルで会いに来てくれている、と解釈しています。私自身がその方のことを想い祈ったあとに見た夢だったり、サヨナラの挨拶、近況の挨拶と思える夢が多いからです。

 

一つ目は娘が亡くなってからまだそれほど経っていない頃の夢の話です。ふわふわした世界に浮かぶような和風の家に父が迎え入れてくれました。そして奥まで行く途中玄関に誰かが来たようだったので戻ってみると私の姉と甥がそこには浮かぶように立っていましたが、二人は中に入れないようでした。

 

奥の部屋に行くとこたつに娘の友人(だと思った)数人が入っており、娘は奥のタンスの陰にいるようでした。私は娘が自分で出て来てくれるのを待っていました。友人たちが一生けん命声をかけて娘を勇気づけてくれているのですが、娘はなかなか出て来ません。それでも大学時代のように良い友達がたくさんできているのだな、と私は感心していました。残念なことに結局娘は隠れたまま出てくることはありませんでした。

 

目が覚めてから亡くなった父が憔悴している私を自死した娘にひき会わせてくれたのだと父に感謝の気持ちでいっぱいになりました。あとで考えてみると友達だと思ったのはあの世で娘のトラウマをケアしてくれているエンジェル達だったのだろうと思います。こたつに入っていたというのがおかしいのですが、、、。まだ生きている姉や甥が中に入れなかったのは入り口に霊界との境界があり入ることを許されなかったということなのでしょう。

 

そしてそのあと5年ほど経ったころに見た夢は対照的でした。私はその日、老齢で亡くなった義母のお別れ会のため義母の一生の写真のコラージュを涙ながらに何枚も作ったのでした。悲しみでハートのチャクラがオープンになっていたせいでしょうか、その夜娘が夢に出て来てくれました。今度は娘自身が迎えに来てくれて生き生きとしています。背の高いボーイフレンドも紹介してくれました。ボーイフレンドはカラフルなスティッカーがたくさん貼ってあるフォルクスワーゲンバスのような(空を飛ぶ!)車を運転するようです。そして娘が自分の部屋に連れて行ってくれたのですが、入り口で何やら門番のような人の許可を得ねば私は中に入れないということらしく娘が何やら話をしてくれて私は中に入れてもらえたのでした。

 

そして部屋に入ってびっくり。たくさんのテレビモニターが高い天井まで一面にギッシリと壁についていて色々な画面が写っています。娘はそれで私たち家族や友人たちを見守っていて必要があればボーイフレンドが運転する空飛ぶ車に飛び乗って助けに行くのだ、ということをテレパシーで私にわかるように説明してくれました。私は夢の中でもとても嬉しく思っていました。ふだんいつも見守ってくれていて助けてくれていると感じることがありますが、実際そうなのであろうということが良くわかる夢でした。

 

最初の夢では物陰から出てくることもできないくらいトラウマを抱えていたのに5年後には人の役に立つよう毎日活躍しているのだな、と思うとあの世でもずいぶん成長したものだなぁ、と親バカながら思ってしまいます。後悔や罪の意識を乗り越えるのは大変であったはずですが、今は明るく人に尽くしている、そんな娘を誇りに思ったのでした。

 

それにしてもどちらの「お家」もなんらかの結界のような境界があり許されないと入れない、というのは面白いと思いました。娘が交渉していた門番のような方はおそらくは彼女のスピリットガイド(指導霊)さんだったのではないかな、と今では思ったりしています。そういえば他に見た夢においても娘と私の間にはフェンスなど何らかの境界があることが多いです。

 

単なる夢と思われるかもしれませんが私にとっては希少なあの世からの便りです。父や娘が私に伝えたかったことがよくわかりありがたく思います。夢というイマジネーションの世界こそ霊界に近いところにあるのでしょう。私は夢を見るとノートに書くようにしていますが、何年か経って読み返すのも面白いですよ。お勧めです。

 

最後に自死であったためにずっと浮かばれないと思っていらっしゃる自死遺族の方も中にはおられるのではないかと思います。それでも私はあの世でも魂は成長し続けるものなのだと思っています。スピリチュアル的には自死は病死とそれほど変わりはありません。そして祈りは必ず届いています。お願いハート