裏ブログのデザインに選んだのは
『蝶』 『紫』
・・・まさに、変容・変性していくテーマ。
なんせ“裏”なので、ちょっと内容が暗く感じられるものや、「?」となる目に見えないことに及びますがご了承くださいませ
私が自分自身と約束していること
それは
『絶対に自殺はしない』
ということです。
家族のPちゃんは、この話をすると笑います。
“わざわざ、約束していることがおかしい”と。
そうなのです。
約束して、戒めておかなくては・・・私にとってはダメなのです。
昔は、ネガティブ女王様と思うくらいに考えすぎては、ショートしていました。
今は、その影はあるものの、“ポジティブ”の称号を周囲より頂いています。
・・・まっネガティブもポジティブもないのですけどね。
あるのは、ただの自分。
私の父は、自殺で亡くなりました。
私が24歳のときです。私は翌月に結婚式を控えていました。
そのことを父は知りませんでした。
父とは、幼い頃から別れて暮らしていました。
年に何度か会うか、電話が来る程度。
亡くなる前日には、数年ぶりに電話で声を聞きました。
詳しく話すと、細かくなりますが
父はだいぶ追い詰められた様子でした。
それは金銭面です。
親戚の間でも、多くの迷惑をかけた父です。
私も学生の頃、奨学金を貸しましたが返ってきませんでした。
金額の問題ではありませんでした。
幼い頃から、周囲の親戚は
「あいつ(父)は、まりあちゃんをくいものにするかも知れないから気をつけないといけない。」と言っていたのを知っています。
でも私は、そんなことは絶対ない!と思って信じていました。
あの日までは・・・。
父は、お金のこと(・・・と考えると愛情面もリンクしているかも)は全くダメな人でした。
明るく、ユーモアがあり“ひとはいい”人でした。
いつも女性と暮らしていました。
私が知っているだけでも、3人。もっといたのでしょうね。
亡くなる前日は、数年ぶりに話すのに“お金”の話でした。
彼は、お金に使われている人でした。
周囲は、やさしさからか、貸し続け、彼は『責任を取る』ということを学ばないまま大人になってしまったのですね。
私は、きっぱり断りました。
貸しても、この人のためにはならないことが明らかです。
くり返しです。
父は「俺に死ねと言ってるのか?」と言いました。
私は「そうとるなら、そうなんじゃないの。」と返しました。
父:「俺がどうなってもいいんだな。」
私:「死にたきゃ死ねば」
こんなやりとりでした。
電話ボックスから出た私は、泣いていました。
どうしよもない。
どうすることもできない。
翌朝、伯父から電話がかかってきました。
父が亡くなったという連絡でした。
ひどい話に思われるかもしれません。
今の私なら、ちがう道も選べたかもしれません。
とても悲しかった。
でも後悔はありませんでした。
死ぬことを選んだのは結局は父です。
『責任の取り方』を知らなかった父は、最期はこんな風にすべての責任を背負って還っていきまいた。
自分の蒔いた種は
自分で刈り取る
自然の摂理ですね。
そんなことがあってか
私には何が起こっても『自殺はしない』という戒めがあります。
苦しいから、辛いから、どうしよもないから
自殺をしても、きっと解決されないのがわかります。
だから、餓死しようが、家がなくなったとしても、病気になっても
とりあえず 寿命全う は私の大きな目標です。
こんな目標変かしら?
このブログを書くにあたり、また父のことを振り返れたこともありがたいです。
なにか、変容の後押しとなってくれればいいけどな。
愛する父上。
まりあは、一生懸命に生きていますよ。