昨日の「私」と
今日の「私」と
明日の「私」は
同じようで
チガウ。
人は、変化していける動物で
それは
「意識」があるからでしょうね。
変化しないことも選べるけれど
・・・
そうすると
そこには「執着」としての苦しみが生まれてきますネ。
どんなにどん底に感じていたとしても
どんなに自己嫌悪していたとしても
どんなに怒りや悲しみに満ちていても
きっと、自分次第で光を得ることが出来る
― と、私はいつも思っています。
この「自分次第」っていうのは
意思の「方向性」とも言えるかなぁ。
なんでだかわからないけれど
信じているんです。
遅すぎることはないし
年齢も関係ないし
なんの条件もない。
実際に
目の前で
闇から輝く光へと変化していく美しい姿を
何度も見ました。
とても
美しい
だからかな。。。
・・・信じているんですょね・・・。