B37とのワークが終わりました
昨晩、終わったのですが
いつものように ピンと来ることがなく
スポットライトの光のような気づき、ではなく
ボワ~っとした街灯のような疼きのような感じでした。
朝になり
「あと、もう1滴」
― と思い、無理やり残りを搾り出すようにして喉の周囲へぬりぬり。
はた、と。。。
ないものばかりを見ていた自分。
目の前にあるものを、全く見ていなかった自分。に気づいた。
どれだけ、空想の世界を作っているのだろうか
空想や妄想は、確かにトクイ
「あるものを、ありのままに見る。
でも“あるもの”は、ない。
その上で、あるものを見て生きる」
そんな言葉が浮かんだょ。
話を「聴く」ってこともそうだけど
本当に「聴く」って、けっこう難しい。
トレーニングがいる。
それと同じで、「視る」っていうのも
本当にあるがままを「みる」って、、、全くできていなかっただろうな。。。
びっくり。です