先日
義母のお仕事パートナーだったKさんとお食事に行きました。
長年、一緒に働き
一緒に遊び、社会と向き合ってきたKさんは
一緒に飲んだりすると
いつも義母の話をしてくれます。
いろんな想いがたくさん、話に詰まっています。
先日はしょっぱなからこんなことを言われていました。
「死んだら、何にもなくなる。無になる。
孔子も、ブッタもいってるしな。」
― と。
私は、その言葉を聴き
Kさんの義母への気持ちを感じました。
今、ここにいないことに慣れたようにみえても違和感があるだろうし
悲しみやさみしさの感情や空虚感があるだろうし
・・・まだ実感がないし
信じられないし。。。
痛みというか、苦しさというか
それらを感じるにはあまりにも痛くて
感じないように、麻酔薬がハートにうたれているような。。。
Kさんの言葉を聴き、想いました。
私なりの死生観は、様々な経験で変わってきたけれど
「無になる」「何にもなくなる」
には、今の私には違和感があると感じました。
で、この違和感はなんだろうか・・・と想ったところ・・・
生きるって、ただ物質世界にあって身体があることを言うだけであって
私たちは生きている間は、この身体に意識を詰め込んでいるんだ、ということ。
だから、身体が境界線のようになって“私とあなた”という感じに分離したように感じるだけ。
きっと死ぬって、身体がなくなって意識が開放されて、境界線がなくなる。自由になるんだ・・・と疑問もなく感じてしまいました。
だから、今こうやって生きている間に
その本質を感じて実践していけたらいいかもしれない。
本当は、私とかあなたとかの境界線はないということを日常で生きていけたいいのかも。と。
Kさんからの投げかけの言葉で
いろんなことが感じれました。
ありがとう
最近は
「死」や「生」のことの投稿ばかり。。。
今の私のテーマなのです。
ちょっと重く感じる方もいると思いますが
答えもないことですが
よかったら、楽しく読んでくださいね