今月末に再び被災地に入るため、

9月最初の休みをその準備に費やしています。


前回の時には、自分の意識の低さから圧倒的な装備不足を感じました。

底に鉄板の入った長靴、レインウェア、汚れても良い服、軍手・・・


荷造りをしながら、いろいろなことを考えます。


3月11日。

あの日以来、

世の中の物事の基準が少しずつ変化しています。




震災について、

いろいろな人が無責任な意見を垂れ流しています。


その中の果たして何人が、本当の被災地の状況を知っているのでしょう。




私の父は、その職業のために、被災地からの応援要請を受け、

必死に任務を全うしてきました。


その土地で罵倒を浴びせられながら、死臭と戦いながら。

「あの木にひっかかっているのは、私の子なんだ。

早く降ろしてやってくれ!!!」



人命救助のための応援要請・・・

そのため、死体の除去は一番最後。




テレビも新聞もメディアも、本当の意味での震災を語っていません。





被災地で出会った少年が、

私に向かって叫んだ言葉がいつまでも耳にたたずんでいます。



自分にできることは小さなことでも、

私たち大人には、次の世代のために、

明るい未来のバトンを引き継ぐ義務があるように思います。