生きてゐ(い)る病人の胸のうちには不安もあれば、失恋もあります。税金の催促
状もあれば、株の暴落もあります。それを胸の中には心臓と肺しかないつもりになり、
眼で見えるさういふもの(そういうもの)の変化だけを病気としてみてゐ(い)るのであり
ますが、そういう見方では人間が何故二本足で立つてゐるかは判らないのであります。
屍体は三本足でなければ立つてはをりません(立ってはおりません)。その見えないもう
一本の足で生きてゐるから、同じりんごを見て食慾をおこしたり、画いて見たくなつたり、
利害勘定してみたりするのでありまして、その為の動作もその裡(うち)に動くはたらきを
知らねば判らないのであります。生きてゐる人を一旦殺して考へる解剖学的見方からだけ
治療を出発させやう(させよう)とすることは間違ひであることを明記せねばなりません。
全生社 野口晴哉 著 「治療の書」 P.70より 引用
この本は昭和26年10月に出版されたものですが、あとがきに「この書に記したことは、三十年間
少しも変わらなかったことばかりである。」とあります。今の時代にこそ、もう一度このような考え方
の上に医学が再構築されることを願ってやみません。