さおりです。
いつもご訪問ありがとうございます✨✨
引っ越しした経緯を途中まで書いてはいたけれど、忙しくなり全く編集出来ずでしたー。
4月末に奈良から大阪へ引っ越ししてきました。
振り返ると、奈良に33年住んでいたことに驚きました。いやー、結構住んでたんやね。
去年、『現実的な自立をする!家を出る』
そう決心しました。
本当は数年前にそう感じたことがあったのですが、その時は動機が曖昧で外側に傾いていたのだとおもいます。
私の世界で、複数の課題が見えていました。
その中での大きな事は現実的な自立。
結婚してずっと旦那さんのお給料で生活していました。
旦那さんにも「俺が稼ぐから家にいてほしい」と言われていたという背景があります。(←この事はすっかり忘れていましたが、今回の事で話し合いの途中そうだった!と言うことが発覚。)
母の死が大きく影響し精神的なことを学び始め、自分ができる事で社会と関わりたいと思って活動をしても
何か上手く歯車が回らない。
息子は小学生の高学年から不登校気味になり、中学は完全に行かない選択、高校は通信で卒業、英語の専門学校へ行きたいという本人の希望もあり入学するもコロナが始まりました。
やっと通学出来るようになり、本人も行けていましたが私以上に境界線が甘く、他人軸の度がすぎたのか学校で嘔吐し、パニックになったようです。
それから、自宅静養し今に至っています。
一緒に住んでいると、手に取るように伝わる彼の不安や葛藤を信頼しつつも私が何とかしようとしてしまう。病院に連れて行くも、異常はなく、そのうち違う病院に行こうと進めても本人はそれを選ばない。
見守りもするけれど、手を出してしまうというバランスが自分では取っていたつもりが、わからなくなってきていました。肉体とエネルギーのズレから、起き上がるのに時間がかかる息子のご飯だけは作りたいので、夜中でも起きて作ることをしていました。(これを負担とは思っていませんでした。むしろやりたい気持ちが勝っていました。)
2020年、私自身も大きな病気をして体調が優れない時期があったのですが、旦那さんもロシアの単身赴任から帰国し忙しすぎて無関心。
一緒に住むことにもエネルギーの調整が入るのは当然ですが、バランスがとれず内側の思いを伝えても全く彼に響かないことに、私は家を出ることへの思いを強めていきます。
信頼出来る人達のセッションや助言で、そうする事が一番進む。という事を言われ、私もそう感じていたので強く決心したのを覚えています。
しかし、時間の経過とともにその決心は緩んでいきます。取り組みは日々しているので、パートナーシップの歪みも調整されていくのを感じ、要保留みたいな甘えで先延ばしにしていました。
私の女性性は育ちましたが、男性性が育っていなくてとてもバランスが悪い。
パートナーもそれを見せてくれていて、現実的な動きはピカイチですが、女性性は育たない。
2人で1人前の凸凹状態。
それが好みな人はいいのだけれど、私は個として立ち、相互理解と相互依存で関わりたいと願っていました。
男性性は現実的をやる事。
それが私が現実的な生活を含めて腹を括ることであり、息子の自立にも影響している。
愛の視点に立ち続ければ、皆んなが良い方向へ向かうことは見えているのに、視点が下がるとたちまち
「今の私が生活できるだろうか?」と恐れてしまう。
そういう葛藤のなか、去年ぎっくり腰なりかけに2回もなり
「もう見て見ぬふりはやめよう。」
「早く事を進めなさい!」
そう言われているのも理解しながら、2月からようやく腰を上げ物件を探していました。
私の中では息子と一緒に行く選択だったのでそれを想定して、奈良→和歌山と範囲を広げました。
しかし途中で、息子は私と住むと甘えるので家に残るといいました。
嬉しくもあり同時に不安もありましたが、その言葉を信頼し私は愛犬と大阪に住むことになりました😊
昔から海の近くに住みたいという願望はあるのですが、それはもう少し先でもいいかなーと。
現実的には耳鼻科のお仕事も始めました。
ここに至るまでも、何社も面接で落ちまくり(笑)
年齢もあるし、社会的に関わってこなかったんだと改めて知ることができ、そんな自分に驚愕しながらも鍛錬になりました。
耳鼻科では、動けてるつもりが足が上がらず機械のコンセントに引っかかったり、勘違いで初日から遅刻とか😆
やらかしてますが、院長の寛容さで助かっています。
新しい人との関わりも新鮮でありながら、以前とは違う自分を発見したりしています。
沢山のことを同時に鍛えている今の私です。
実際に、奈良にいる息子も進んでいます。
みんながより良い方向へ✨✨
これからもよろしくお願いします✨
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