先日、私の知り合いから聞いた話。


私の知り合いの友達をAさんとします。


Aさんは、コ◯ナ禍で危機感を感じて備蓄を始めたそう。

その量はどれくらいかわからないけど、一般的な家庭だから、部屋いっぱいみたいな量ではないはず。


先日、その備蓄を整理して賞味期限切れをチェックしていたところ、Aさんの旦那さんはこう言い放ったそう。


「何でこんなに買ってんの?」

「何も起こるわけないのに!」

「こんなに賞味期限切れにして!」

「もったいない!」

「頭 大丈夫か?」


Aさんは、その言葉にショックを受けました。

「家族のために、必死でしたことなのに…」

と、すごく落ち込んでいたそう。



私は、その話を聞いた時、胸が詰まった。


私には痛いほどAさんの気持ちがわかった。


なぜそんなに備蓄をしたのかが苦しいほどわかるから。




Aさんは、『 家族の命を守る 』

そのために備蓄を始めたんです。


「 何も起こらなかった 」というのは

何事も起こらなくて過ぎたから言えること。


もし、何かあったらその備えに対して何という言葉を言っただろう?



私は、Aさんは素晴らしい先見の明のある方だと思う。

現に、世界を見渡してもわかるように、食糧への危機感も増してきています。


そして、お金の価値は下がり続けていて、以前の半分くらいになってません?

額面はそのままでも、引き換える価値は減り続けてません?


今も続く兆候は、敏感な方ならその頃から本能的に気づけたはず。


もちろん、食糧に消費期限というのはあるから、ローリングストックとして回してなかったのは良くないかもしれないけど。

それさえしていれば何も問題はない。



私、思うんです。


逆に、Aさんの旦那さんって大丈夫なの?って。



もし何か起きた時、どうしようと思ってたの?


家族に内緒の貯蓄が10億くらいあるの?

どこかの農家さんと強い信頼関係で繋がっていて、

困った時にはいつでも家まで持って来てくれて、安く提供してくれる!という確信でもあるの?

それとも、何があっても家族の命を守れるよう、どこかにコッソリ備えをしてくれていたの?


まさか、何かあった時には人様のものを奪ってでも手に入れることを考えていた???


私がAさんだったら、旦那さんにそんな恐ろしいことしてほしくない。

そんな人間とは思えないようなことしてほしくない。


Aさんもそう考えて備えを始めたのが苦しいほどわかるんです。


備えというのは、何か起きた時に役立つもので、何も起こらなかったらそれは、何も起こらなくて良かったね!と喜ぶべきことで、誰を責める必要もない。



それに私たち、食糧以外の備えは日頃からしてるはずです。


生命保険、火災保険、自動車保険…

その他にも数えたら沢山ある。


なのに、食糧だけは別っておかしくないですか?



いつからか、お金出せば何でも買える!という

生存本能の発現なく生きれる時代が続いたせいで、退化していきつつある人間の本能。


最愛の奥さまが、旦那さんや家族の命を守るために備えたことを、頭  大丈夫?で終わらせる。

大丈夫ですか??



どんな時代も、備えは必要です。

自分が冷静にいるためにも、大切な人の命を守るためにも。


どんなにお金があっても意味のない時代は過去に何度もありました。

そして悲しいことに歴史は繰り返すんです。


お金の価値は変わります。

交換できる実態にこそ価値があって、紙キレや印字された数字そのものに価値はない。


その事に気づくような出来事が、多分近いうちに起こりそうな気がします。



破壊と再生



それは宇宙の法則としてもあります。


壊れないと新しいものは始まらない。


終わりは始まり。

途切れる事なく一点で繋がってる。



AさんとAさんのご家族が安全に守られますようお祈りしています。