人生や人間には波がある。
ずっと高い波長(波動)でい続けられる人もいなければ、ずっと低い波長(波動)のままの人もいない。
そして、それぞれ個人個人で波長(波動)は違う。
楽しいことがあれば一瞬は波動が上がるもの。
嫌なことがあれば一瞬は波動が下がるもの。
でもそれ以外はフラットなのが普通。
フラットというと何も感じないということではなくて、本来の自分の波動でいるということ。
朝起きてフラットなのは普通のことで、無理やり上げる必要はない。
何もなければフラットが当たり前なのだから。
必要な何かをするから上がっていくのであって、フラットであることが悪みたいに無理やり何かをして上げようとするのはちょっと…
いつも良い気分でいなければならない!みたいなのはフワスピ界隈でよく聞くけど。。
無理に上げると反動がくる。
上がれば下がる。
下がれば上がる。
それは宇宙の法則だから。
波動が下がってる自分はダメだ!というのは自己否定。
波動が下がる時もあるよね!
それも自分だよね!
そんな日もあるよね!
とありのままの自分を認めること。
そして、無理してないかな?
何かから目を逸らすために行動してないかな? と自分に聴いてみること。
自問自答して、ありのままの自分を認められたら、無理やり何かをする必要もない。
怠けろ、いい加減になれと言ってるのではなくね。
自分の好きなことをすると良い。
ずっと良い気分でいなければダメと心のどこかで思っているとしたら、今の自分は本来の自分?と問いかけてみること。
抑えつけて感じないようにしてる何かをちゃんと見ること。
人生を山登りに例えたりするけど
人生の山登りは、一人で登るのもストイックでいいと言う人もいるけど、わたしは断然誰かと登るのが楽しいと思う。
登る道中はもちろん楽しいし、何か困ったことがあっても、力を合わせて乗り越えられるし、遭難しそうになっても知恵を出し合って最善策を見つけられると思う。
仮に一人で無事に登り切れたとしても、頂上の景色を見るのは一人。
誰かと登っていたら、頂上の景色も一緒に楽しむことができる。
こう言うと、登った頂上で他の人と見るという様な屁理屈が思い浮かぶ人もいるかもしれないけど、みんな登る山は違う。
ツインは別。
運命共同体同士の山登りについて言ってる。
何かを我慢しなければ欲しいものは手に入らないとか、我慢してないと手に入れた時の喜びが薄れるとか、まだ○○になってないからダメだ!とか、それ全部ウソだから。
昭和の古臭い根性論は今の時代に必要ない。
もし必要だと思っているのなら、それは親や学校教育からの洗脳、刷り込み。
もっと自分に素直に、正直に、心のままに生きていいと思う。
○○になってても、まだ○○になってなくても
どっちでもいい✨
どっちでもいい✨
という自由さ、可能性の広がりを感じる量子的生き方が中心になっていくから😌