この世の中に善意があるとすれば、

たとえば2018年12月2日の浦和駅で

難病のための子供のために募金をおねがいするようなことだろう。


そして、たまたま通りかかった私がなけなしの1000円札を箱に入れると、

「こんなにたくさん、ありがとうございます」

などと、頭を下げてくれることだろう。


一方で私がなけなしの1000円を箱に入れるのは、

これは私の問題ではなく、

すべての母親が抱えなければいけない問題だからだ。


それは、カフェで待ち合わせをしている17歳の過去の私にはわからない気持ちかもしれない。


どこかで苦しんでいる子供の苦しみを想像できるようになったのは、

母親になったからだと思う。

母親にならなければ、私は募金箱までの3メートルを歩み寄ることはなかっただろう。


「偽善者」と呼ばれることが怖くて、

ただただ縮み上がっていた過去の私。


募金箱まで歩けるようになったのは、

誰かの苦しみが自分の苦しみであり、

私のこどもの苦しみであり、

すべての苦しみがまるで自分のことであると捉えることができるようになったからだ。


わたしたちのこどもの苦しみのために

駅前で募金を呼び掛けている女性たちこそ

この世の善意である。


そして、その箱に近づくすべての人もまた

この世の善意である。


そこに何か反対を唱える余地はない。

もしそんなことがあるなら私はすべての矢面にたつ覚悟だ。