奇跡の町、熱海

奇跡の商店街、円頓寺商店街、大須商店街など。


人が集まって、活気がある場所がまちづくりの成功例であると言える。


そこで、それらの場所をまねてみても、そうそううまくいくわけもない。


「何かあたらしいことを!」

「何かおもしろいことを!」

「何かとんがったことを!」


そう意気込んで地域にやってきて、そこを変えようとしてくれる若者がいる。

地域おこし協力隊、移住者、起業者など。

彼らを全力で応援し、地元との調整を行おうとすると必ず問題が起こる。


ずっと空いている空き店舗なのに、

「他人に使わせたくない」という人見知りな言い分から、

半分閉まっているようなお店から、

「客を取られた」という粘着質な抗議などいろいろある。


そうすると、「何か!」と言って意気込んできた若者はすぐに別の場所を探していなくなってしまう。


いつもいつも、もっと地域が寛大であればな、と思う。

まちづくりは、とても大変だ。


奇跡の町、熱海も熱海全体が奇跡なのではなく、広い熱海の一部で新しい考えが受け入れられ、そこの一区間が動き出したという程度だと思う。

しかし、そこの一区間でも動けばまちがどんどんと加速度的に変わっていくことは明白だ。


まちには多様な人が住んでいる。

新しい考えを持ち込む人、毎日の平和な日常を守りたい人、

頭のいいひと、考えの古い人、

にぎやかが好きな人、静寂を好む人、

そこに住むみんなのことを考えなきゃいけない。


だから人があつまってにぎやかなまちがいい、とも本当は言い切れない。

でも何か新しいことがやってきて、

いろんな人たちの哲学さえ変えてしまうような何かあたらしいことがまちにやってきて、

そこに住んでいる人を魅了し、そこに住みたいという人が殺到する、

そんな奇跡的な「何か新しいこと!」があればな、と思っている。


それはただ「思考」を変えるだけかもしれないし、

「仕組み」を変えることかもしれないし、

ただ「寛容」になればいいだけかもしれない。


もちろん「まち」を作ればいいってものじゃないことは、

中国のゴーストタウンが証明してくれている。


もしかしたら「ひと」が先に変われば、

「まち」もそれに合わせて姿を変えるのかもしれない。

もちろんどんな「まち」がすばらしいのかなんて正解はないのだけれど。