ツインレイ女性の心の拠り所
Unité Éternelle Twinray(ユニテ・エテルネル・ツインレイ)です。
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― 私たちは、無償の愛をすでに知っている ―
ツインレイは、無償の愛を学ぶために出会う。
そんな言葉を、目にしたことがある人は多いと思います。
私もずっと、そういうものなんだと思っていました。
でも、ツインレイという道を実際に歩いてきて、いろんなことを経験していく中で、私は少し違う感覚を持つようになりました。
私たちは本当に、
「無償の愛」を学んでいるのかな、と。
もしかしたら逆なんじゃないか。
私たちは、無償の愛を学んでいるのではなくて、
「分離の意識とは何なのか」
それを、これでもかというくらい経験しているのではないか。
そんなふうに思うのです。
なぜなら、無償の愛は、
本当はもう知っているから。
魂は、最初から知っています。
本来の自分というものが魂の自分であるなら、
私たちは生まれる前から、それを知っている。
人は、無償の愛から生まれてくる。
ただ、魂の視点から見れば、何度も輪廻転生を繰り返してきた中で手放しきれなかった「分離の意識」もまた、私たちは携えて生まれてきているのだと思います。
そして、この世界で生きていく中でも、
さらにいろいろな分離を経験していく。
だから、無償の愛を知らないのではなくて、
知っていたものが、だんだん見えなくなっていく。
そんな感覚のほうが、私には近いのです。
では、「分離の意識」って何なのでしょうか。
私は、ものすごく大きく捉えると、
本当の自分の心が求めているものから離れている状態なのではないかと思っています。
人をジャッジすること。
相手が間違っていると批判したくなること。
自分の思い通りに相手を動かそうとすること。
相手をコントロールすること。
逆に、自分の気持ちを押し殺して、我慢をして相手に合わせること。
「この人の言うことを聞いていればいい」
「私が我慢すれば丸く収まる」
そんなふうに自分の心を置き去りにすることも、分離なのだと思います。
そして厄介なのは、
自分が分離の意識の中にいることにさえ、気づいていないことがあるということ。
たとえば、自分がコントロールできる環境にいれば、人は案外簡単に誰かをコントロールしてしまうことがあります。
子どもだったり、
配偶者だったり、
家族だったり、
職場の人だったり。
相手が言い返せない立場だったり、
何も言わずに我慢してくれる人だったりすれば、
それが日常になってしまう。
相手が我慢していることにも気づかないまま、
自分がコントロールしていることにも気づかないまま、それが「普通」になっていく。
でも、そのコントロールのもっと奥には、
恐れがあったりする。
自分の立場が危うくなる怖さだったり、
自分の思い通りにならないことへの不安だったり。
時には孤独感であったり。
支配しなければ保てない何かが、
その人の中にあるのかもしれません。
そして、我慢する側も同じです。
それが長く続けば、
「この人の言うことを聞くものなんだ」
「この人が言っていることが正しいんだ」
と、それが当たり前になってしまうことだってある。
自分が我慢していることにさえ、
気づかなくなってしまう。
だけど、環境が変わったり、
関わる人が変わったり、
何かのきっかけで本当の心が少し顔を出したとき、
「なんか違う」
という違和感が出てくる。
「私、ずっと我慢していたのかもしれない」
「もう嫌だ」
「本当は、こんなふうに生きたかったんじゃない」
そんな気持ちが出てくる。
本当の自分が、やっと顔を出す。
そして私は、
ツインレイとの出会いというのは、
この**「分離の意識」を根こそぎ炙り出すスイッチ**のようなものなのではないかと思っています。
私の感覚では、
かなり強烈な起爆剤です。
ピッとスイッチを押されて、
「はい。では出していきますよー」
とでもいうように、
それまで自分でも気づかなかったものが、
次から次へと出てくる。
ツインレイは「鏡」だと、よく言われます。
私は、その意味の一つがここにあるのだと思っています。
彼が私を苦しめるために何かをしているのではなく、彼との関係を通して、
私の中にずっとあったものが映し出される。
しかも、見たくないものまで…
私の場合、
最初にものすごい勢いで炙り出されたのは、
過去の恋愛の中で、
ずっと封印してきた感情でした。
私は過去の恋愛で、
浮気をされたこともあります。
他に好きな女性ができたと言われ、別れを告げられたこともあります。
二股をかけられていたこともありました。
私が好きだった人のことを相談していた親友が、
ある日、その彼と付き合い始めたこともありました。
今なら、
悲しかったよね。
悔しかったよね。
傷ついたよね。
騙されたと思ったよね。
本当は別れたくなかったよね。
選んでほしかったよね。
って、いくらでも言えます。
でも、その当時の私は、
ほとんど泣いていません。
「いいよ、別に」
「もう平気だから」
「わかった」
そんなふうにして、強がっていました。
そして全部を一気に閉じてしまった。
本当は何を感じているのか。
どれだけ傷ついているのか。
悲しいのか。
悔しいのか。
腹が立っているのか。
それさえ、自分で見ようとしなかった。
平気なふりをして、
自分の奥深くに全部しまい込んでしまったんです。
でも、感情って、
「なかったこと」にしたからといって消えないんですよね。
ちゃんと残っている。
私は、魂というものは時空を越えて感情や意識を携えていくものだと今でこそ、思っています。
過去世からさえ持ち越してくるものがあるのなら、ましてや今世で自分が蓋をした感情なんて、
そんなに簡単に消えるはずがなかったのです。
ツインレイの彼と出会ってからしばらくたった頃。
その頃には、私たちはお互いに『ツインレイなんだろうな』ということを、なんとなく感じていました。
その頃の彼は、
いろいろな女性と遊んでいました。
それを私は、
SNSで見ていたんです。
見なきゃいいのに。
見ると苦しいって分かっているのに。
見てしまう。
彼が他の女の子たちと楽しそうにしている。
私とはそんなふうに遊びに行ったりもしない。
なのに、彼は時々私に連絡してくる。
「なんで?」
と思っていました。
「なんで他の女の子たちとあんなに楽しそうに遊んでいるのに、私に連絡してくるんだろう」
好きだから、
彼からの連絡を拒絶することもできない。
でも、SNSを見るたびに、
心を引き裂かれるように苦しい。
涙が止まらない。
本当に、止まらなかったんです。
仕事が終わって車を運転して帰っているだけなのに、何かを考えていたわけでもないのに、
勝手に涙が溢れてくる。
悲しくて、
苦しくて、
自分でも、
「私、大丈夫かな」
と思うくらいでした。
声を上げて泣いたこともあります。
本当に、
「もう死んでしまったほうが楽なんじゃないか」
と思うほど苦しい時期もありました。
そして最初の頃は、
彼のせいで、こんなに苦しいんだ
と思っていました。
彼が他の女性たちと遊ぶから。
その姿を見せられるから。
だから私は傷ついて、
こんなに泣いているんだ、と。
でも、泣いて、泣いて、
それを繰り返しているうちに、
あるとき、ふっと気づいたんです。
これ、彼の行動だけで泣いてるんじゃない。
そこからでした。
自分の中に目を向け始めたのは。
出てきたのは、
ずっと昔に封印したはずの感情でした。
あのとき、本当は悲しかった。
あのとき、本当は悔しかった。
本当は別れたくなかった。
騙されたことがショックだった。
選ばれなかったことが悔しかった。
親友のことだって、本当は許せなかった。
そして、その一つ一つの経験の積み重ねの中で、
「どうせ私は選ばれない」
「私は一番にはなれない」
そんな思いまで、
自分の中に作っていたことに気づきました。
それまでの私は、
そんなことすら分かっていなかったんです。
だって、その都度、
「平気だから」
って蓋をしていたから。
ツインレイの彼との出会いによって、
その蓋が一気に開いた。
私の中にずっと閉じ込めていたものが、
時を越えて、一気に溢れ出した。
そんな感覚でした。
そこから私は、
一つずつ自分と向き合いました。
泣きたいときは、
とにかく泣きました。
一人で安心していられる場所で、
思いきり泣く。
声を上げて泣いたこともありました。
私は涙というものには、
とても大きな浄化の力があると思っています。
だから、泣けるのであれば、
泣きたいだけ泣けばいいと思う。
もちろん、人によって方法は違います。
紙に気持ちを書くほうが合っている人もいるかもしれない。
何が正解ということではなく、
自分の中に溜め込んだものを、
ちゃんと外へ出してあげる。
そして、泣いて、泣いて、
少し涙が落ち着いて、
ふっと冷静になれたとき。
その頃の自分のところへ戻りました。
「平気じゃなかったよね」
「すごく悲しかったよね」
「悔しかったよね」
「本当は別れたくなかったよね」
「ちゃんと泣けばよかったね」
そんなふうに、
当時感じきれなかった感情を、
一緒に感じ直しました。
一度では終わらないものもありました。
何度も何度も出てくる。
そのたびに向き合いました。
そして、
「ごめんね」
と思いました。
そのときの自分を、
私は置き去りにしていたから。
悲しんでいる自分に寄り添うこともなく、
「大丈夫」
「平気」
と無理やり蓋をして、
その場に置いてきてしまった。
だから私は、置き去りにしてきた自分を、
一人ずつ迎えに行くようなことをしていたのだと思います。
今振り返れば、彼に出会ったから私は苦しくなったのではありません。
彼は、
私の中にすでにあったものを炙り出してくれただけだった。
もちろん当時は、
「なんでこんな目に遭わなきゃいけないの」
と思いました。
でも、本当は、
こんなに自分を苦しめるほど感情を溜め込んだのは、私自身だったんですよね。
もし、その出来事が起きたときに、
悲しいなら悲しい。
悔しいなら悔しい。
傷ついたなら傷ついた。
そうやって一つずつ自分の心を受け止めていたら、
ここまで大きな波にはなっていなかったのかもしれません。
そして私は、
彼に出会わなかったら、
もしかすると、
その感情を一生抱えたまま、
今世を終えていたのかもしれないと思っています。
だから、
あの頃は本当に苦しかったけれど、
今は彼との出会いに感謝しています。
彼がいなければ、
私はあの感情に気づけなかった。
ずっと置き去りにしてきた自分を、
迎えに行くこともなかったと思うから。
そして、不思議なことも起こりました。
自分の感情に向き合い続けて、
あるとき私は彼のSNSを見ることをやめました。
もう、いいや。
そう思ったんです。
もちろん、
彼が他の女性と遊んでいること自体が嫌じゃなくなったわけではありません。
嫌なものは嫌でした。
でも、
「今の彼が、それをしたいのであれば、それは彼が選ぶことなんだ」
と思える自分も少しずつ出てきました。
私が嫌だから、
彼にやめて欲しい。
私が悲しいから、
彼に変わって欲しい。
そうではなくて、
私は嫌だと感じている。
でも、
彼がどう生きるかは彼が決めること。
そんな感覚が、
少しずつ芽生えてきたんです。
そして、SNSを見ることをやめてからしばらくして、私の涙も少しずつ落ち着いていきました。
その頃から、
彼のほうにも変化がありました。
彼から頻繁に連絡が来るようになり、
会いに来るようにもなりました。
そして、あれほどいろいろな女性たちと遊んでいた彼が、少しずつそういうことをしなくなっていった。
私はそのとき、
「不思議だな」
と思いました。
ツインレイは、
「彼の行動は、自分の内側にあるものを映し出している」
と言われることがあります。
これは、私が自分の体験を通して、その意味を実感した出来事の一つでした。
もちろん、
それですべてが終わったわけではありません。
一つ終わったら、
また一つ。
「はい、次はこれです」
とでも言われているように、
違う形でまた自分の中にあるものが出てくる。
ツインレイとの出会いは、
私にとって本当にそんな試練の連続でした。
だから私は、
ツインレイとの出会いは、分離の意識を根こそぎ炙り出す起爆剤
なのではないかと思っています。
彼との間で何かが起きる。
苦しい。
悲しい。
嫉妬する。
腹が立つ。
執着する。
「なんでこんなことするの?」
と彼を責めたくなる。
もちろん、
最初はそれでいいと思うんです。
人間だから。
目の前で起きていることを見れば、
彼のせいだと思うことだってある。
怒りも出る。
嫉妬もする。
悲しければ泣く。
でも、少し冷静になれたときに、
ほんの少しだけ、
ベクトルを自分へ戻してみる。
「彼は今、私の中にある何を見せてくれているんだろう」
私は、ここがとても大切なのだと思っています。
「彼はなんでこんなことをするの?」
だけで終わってしまうと、
意識はずっと彼に向いたままです。
でも、
「この出来事が、こんなにも私を揺さぶるのはなぜなんだろう」
「この苦しさは、どこから来ているんだろう」
と見ていくと、
そのもっと奥に、
自分でも忘れていた何かが見えてくることがあります。
それは、
幼い頃の自分かもしれない。
過去の恋愛かもしれない。
家族との関係かもしれない。
ずっと我慢してきた自分かもしれない。
「私は愛されない」
「私は選ばれない」
「私は大切にされない」
そんな、自分でも気づかなかった思い込みかもしれない。
そこを、一つずつ見ていく。
そして、
置き去りにしてきた自分を迎えにいく。
私は、
それがツインレイの道の中で行われている、
とても大きなことの一つなのだと思っています。
ツインレイという魂のプログラムを歩く人たちは、それだけ深いところまで自分自身を見る力を持った魂なのだと、私は捉えています。
だからこそ、
最初は彼のせいだと思っていても、
いつか、
「これは、私に何かを見せているんじゃないか」
と気づく瞬間が来る。
その洞察力を、
本当はちゃんと持っているのだと思います。
そして、一度その感覚が分かってくると、
次に揺さぶりが来たときも、
少しずつ見え方が変わってきます。
もちろん感情は出ます。
悲しい。
腹が立つ。
嫉妬する。
苦しい。
でも、その感情に全部持っていかれて、
「彼が悪い」
「彼が変わってくれればいい」
だけにはならなくなってくる。
「ああ、またこれですね」
「今度はここを見るんですね」
と、
少しずつ自分へ戻れるようになっていく。
そうやって、
分離の意識というものを一つずつ知っていくのだと思います。
だから、
「ツインレイは無償の愛を学ぶ」
という言葉を聞いたとき、
今の私は、
少し違う捉え方をしています。
無償の愛を、
頑張って身につけるのではない。
「無償の愛とはこういうものです」
と誰かに教えてもらって、
そこへ自分を近づけていくのでもない。
私たちは、
分離を学んでいる。
「ああ、これが分離だったんだ」
「これもだったんだ」
「ここでも私は、自分の心から離れていたんだ」
「ここでは相手を変えようとしていたんだ」
「ここでは自分を我慢させていたんだ」
そうやって一つずつ気づいて、
その分離を手放していく。
すると不思議なことに、
無償の愛というものが、
「理解できるようになる」のではなく、
自分の中から自然に出てくる。
私自身、
以前はこんな話を目にしても、
「本当にそんなふうになれるの?」
と思っていました。
今でも私は、
彼に会いたいです。
そばにいたい。
一緒に生きていきたい。
それは今も変わりません。
「無償の愛だから、一緒になれなくてもいいのです。繋がりを感じられるなら。」
なんて、
そんなことは思いません。
私は彼と一緒にいたい。
でも、それとは別のところで、
彼が彼らしく、
本当に自由にこの世界を生きて、
彼が幸せでいてくれるのなら、
私は、それだけでも幸せだと思える自分がいます。
この感覚が自分の中から出てきたとき、
自分でも驚きました。
昔の私だったら、
そんなふうには思えなかったから。
彼に不幸になってほしいと思っていたわけではありません。
もちろん幸せでいてほしかった。
でも、その「幸せ」の中には、
「私と一緒にいてほしい」
が、とても大きく入っていました。
今は、
一緒にいたい。
そばにいたい。
その願いはちゃんとある。
でも、そのもっと深いところに、
あなたがあなたらしく生きて、
幸せでいてくれたら、それが嬉しい。
そんな気持ちがあります。
私は、
これを誰かに教わったわけではありません。
むしろ昔は、
「そんなふうになれるの?」
と思っていた側です。
それなのに、
自分の中にあるものを一つずつ見て、
泣いて、
向き合って、
置き去りにしてきた自分を迎えにいって、
分離を一つずつ手放していったら、
いつの間にか、
そんな気持ちが自分の中にあった。
だから私は思うんです。
やっぱり私たちは、
無償の愛を学んでいるのではないのかもしれない。
本当は、
もう知っている。
ただ、
分離の意識によって、
それを思い出せなくなっているだけ。
だからツインレイとの出会いによって、
自分の中にある分離が、
これでもかというほど炙り出される。
時には、
「どうして彼はこんなひどいことをするんだろう」
と、三次元の出来事だけを見れば、
冷酷にさえ感じることもあるかもしれません。
でも、そこで少しだけ視点を変えてみる。
「この出来事を通して、私は何を見せられているんだろう」
そこに気づいて、
一つずつ、
自分の中に置き去りにしてきたものを迎えにいく。
そして分離の意識が一つ、
また一つと薄くなっていったとき、
新しい愛を手に入れるのではなく、
ずっと自分の中にあったものが、
少しずつ姿を現してくる。
無償の愛は、
どこか遠いところにあるものでも、
これから身につけるものでもない。
私たちはもう、
ずっと前から知っている。
ツインレイという道は、
無償の愛を学ぶための道ではなく、
本当は知っていた愛を思い出すために、
自分の中にある「分離」を知っていく道なのかなと感じています。







