被災地の演奏のご報告をさせていただきます。
この行程にあたって
支援金などで支援して下さった個人・団体さまへ厚く御礼もうしあげます。
「オカリナサークル大元」さま
「オカリナのどか」さま
「新西大寺商店街」さま
「クレイトーン」さま
個人さまの名称は伏せますが、
灘崎の生徒さん、
吉備の生徒さん
津高の生徒さん、
他、相方関係の方(名前を知りません)本当にありがとうございました。
さて、大きな団体でご支援していただいたところには
お礼と、領収書、また写真でのご報告をさせていただいております。
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行程
7月14日と15日の日付が変るくらいの時間に出発
高速に乗り、日本海周りで新潟から南下
福島から一関まで東北自動車道。
高速道路検索システムで出た予測時間が17時間半くらい。
これに仮眠時間休憩時間などを合わせると
20時間以上かかることとなりますね。
行きは疲れがまだなかったので、
予定通りに進めました。
東北に入ってからさすがに疲れて
休憩と仮眠が多くなりました。
15日の夜に一関到着。
気仙沼と一関間は30~40キロくらいあるので
一度降りて
どうするか相談・・・
一関のほうが大きな町なのです。
とりあえず現地に向かって様子を見ようということで
気仙沼に向かうも
やはり、泊まれそうなところなどは満員で
ボランティア車泊駐車場をお借りする。
このころ相方はすでに疲労の色が濃く、
すぐに眠りにおちたようでした。
よく眠れるはずもなく
あけて16日、ボランティアセンターと連絡をとり、
演奏場所の最終確認
・特別養護老人ホーム恵潮苑さま(中京テレビ入る)
と
・小原木中学校体育館避難所
に決定。
午前中は、海岸沿いの津波被害の場所を記録
大きな風景しか出せなくてすみません。
被害にあった建物も、みなさまも
壊れても亡くなられてもやはり、肖像権や人権を有するとわたし自身は考えるため、
ブログにはこのような写真しか出さないつもりです。
別途報告会を考えています。
昼すぎから演奏場所へ向かう。
恵潮苑さまではテレビの録画が入るので
緊張・・・・
取材なども受け、
演奏をDVD化して、慰問がない施設さまや、
娯楽が少ない施設さまにお渡ししたいとの申し出がありましたので
お受けする。
夕方から
中学校の避難所へ。
演奏のあと、みなさまのお話、
カウンセラーさんとのお話
代表者さまとのお話などして22時すぎまで滞在。
*みなさま、大変お世話になりました。
ありがとうございました!
その足で休憩をせずに東京へと向かう。
(17日に、東京で演奏があったため)
相方の疲労の色がかなり濃く、
不安になる・・・・・・
顔色も悪く、大丈夫かなぁと心配。。。
さすがに何度も何度もSAで仮眠をとりながら
(あまりとらないほうが良いと、本人はいっていたけど
無理やり寝かせたw)
17日の昼ころに、東京着。
首都高をおりて、スーパー銭湯のようなところで
はじめて畳にねそべる。。
はじめてお風呂に入る。。。
はじめてきちんと座って食事をする。。
それがいけなかったのか
大広間のような休憩所で、二人とも深い眠りに落ちる
ぎりぎりまで休んで、演奏先の施設さまへ。
大変よくしていただき、本当にありがとうございました。
非常に明るい雰囲気で、
心から楽しんでいただけたと思います。
(相方のお知り合いの施設さまでした)
さて、帰路につくが
そこでわたしは、次の日の午前中の演奏に間に合うか不安になり
(結婚式での演奏です)
集合が9時すぎだったので、
自分の準備もできないのでは・・・という思いと
相方にこれ以上無理をさせるとかわいそうと思って
自分だけ降りて新幹線で帰ると提案したが
「横に誰かいてくれたほうが
気がまぎれるので
お願いします」
ということで、最後まで乗ることを決める。
さすがに、疲れていたのでしょう。。。
何度も何度もSAごとに休憩するような形になる。
東京から、岡山まで、12時間以上かかりました。
14時間くらいかかっているかな?
ようやく18日の朝、岡山着。
時間がなかったので入浴せずに洗面とメイクと着替えしただけで
式場へ。
I崎さん、良いタイミングでメールを下さり
本当に助かりました。
ありがとうございます!!
お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。
この演奏が、今後たちの糧となり
また、被災地へ向かう人たちの何かの参考資料になり、
そして、被災地の方々に
すこしばかりの、心の慰めになっていただけますように
お祈りして終わりたいと思います。
*写真の公開はすべて気仙沼市、避難所の代表さまに許可をいただいて公開しているものです。
無断転載はご遠慮下さい。