見て、この付箋ww
印がついているのは共感しまくったところです。
この著者は私なのではないか?
と思うくらい、気づきのタイミング、その後の辿った行動が似ている。何度、「私もやったw」「そうそう、それ、そうなの!」と声が出そうになったか。思っていたことをそのまま分かりやすく文章にまとめて下さり、著者に感謝します。ときおり、涙ぐんだりしました。
この興奮を忘れないために、ここに感想として残しておく。

(なんでか画像が横になる…)

私は本の著者のようなバリキャリではないし、人と競い合うのが苦手だったので早いうちから受験戦争も辞退した身です。辿って来た道は違うが、辿りついた結論は一緒だった。
共通するところといえば、「自立しようとした女性」か。
この「気づき」は自分の力で生きていけるように頑張った女性がぶち当たる壁かもしれない。
私も著者と同じく、若い頃は呆然と男と女が平等だと思い込んでいて(とはいえ、うちの兄に「女は目立つな」「男の前に立つな」と言われてきたので薄々おかしいとは疑問を持っていた。が、家に限ったことだと思っていた)、男女関係なく同じように仕事を頂けると信じ込んで、努力をすれば報われると努力を重ねてきたが、叩き(舞台の大道具作り)に欠席する男達の代わりに木材を運んでも(叩きを行う場所から甲州街道を渡った材木屋で購入して運んでこいと命令され、肩が壊れるかと思うくらいの重い木材を女性2名で何度も往復して運ばされた)女性だけがパシリにさせられても(劇団代表の演出が一人だけ車で来ており駐車場のない路駐の時は30分毎に駐禁切られていないか走って見に行かされていた。ほかコンビニやジュースを買いに行くのも灰皿を用意するのも若い女性劇団員の役目だった)、男性よりもいい役が貰えない。役者の世界は男の方が優遇される。
独立して劇団を旗揚げしたが外部スタッフには何度となく枕営業を求められる。断ると仕事がしづらくなる。最悪、仕事自体を断られたりする。(当たり前ですが一度も受け入れたことはありません!きもいんで!)面倒だけど、仲間を誘って二人きりで打ち合わせをしないようにした。
なぜ、「主宰者」としてではなく私を「女」として見るのか?
私が「男」だったら、そんな話にならんだろ?
その駆け引きめんどくさいから普通に仕事の話をしろ。
なんで私が「女」ってだけでこんなにもわずらわしくなるのか?
奴らは私を仕事相手として見ていない。
私を見下してるから、そんな態度が取れるんだろ?
自分より実力のない男性には仕事の話がポンポンくるのに、ホモソーシャルで繋がっているこの世界は私には枕営業は求めるくせに仕事はくれない。仕事を紹介すると言われて喜んで飲みにいけばホテルに連れ込まれる。断った途端、紹介そのものが立ち消える。
某テレビ局の女好きのディレクターに「生け贄」として差し出されそうになったこともある。
打ち合わせ中、ギラギラとした目で舐めるように見つめて、私に気がないと思った瞬間に持ち込んだシナリオを脇に置かれてしまった。
なんで仕事関係の人と肉体関係を持たねばならんのだ?
それって恋人同士がする行為だろ?
男は快楽だけだが女も同じと思われたら迷惑だ。
こちとら、妊娠&病気のリスクを背負い、体が汚れるだけでなんもいいことない。
なんでそんな簡単なことが男には分からないのだ?
私は好きな人以外には指一本触られたくないんだってば!!!!!!
ただただ創作がしたいだけなのに。才能を認められたいだけなのに。
私は作品を褒められる方が好きだ。私の作品が好きだと言われると一番うれしい。
けれど、仕事の権力を持つ「おじさん」たちには私の「才能」などどうでもいいのだ。
「お前など、若い体を失ったら社会に必要ない廃棄物だ」(著者の言葉を引用)
私も、まるで、そういわれてるみたいな20代30代だった。
「おじさん社会」に鼻をへし折られ、「男に依存しなければ生きていけない構造」に追い込まれる。
どの会社も「中年女性」がいないのはそのためだ。(役者の世界もそう)
生きててごめんなさい。
子ども産まずに生産性もないくせに生きててごめんなさい。
女の性が枯れてて需要もないくせに、生きててごめんなさい。
女性はある程度の年齢を越えると社会から消える。
でも、果たして結婚は本当に女性にとって幸せなのか?
だったらなぜ、ヤフーの検索ワードに「旦那」と入れると、その後に続くのは「旦那デスノート」「旦那嫌いすぎて仕方ない」「旦那死ねばいいのに 本気」という言葉がトップに出て来るのか?
とはいえ、たとえ結婚を選択しないで仕事を選んだとしても、女性は男性のように出世できるのだろうか。
社会は「おじさんにとって生きやすい社会構造」であって、私達用には出来ていないのだ。
日本の半分は女性なのに、なぜ憲法を司る国会が男女半々ではないの?
なぜ裁判所で判決を決めるのは男女半々ではないの?
医療はなぜ医者の大半が男なの?なぜ未だに無麻酔で時代遅れの中絶手術が行われているの?
世論を司るメディア業界は、なぜ今もまだ男社会なの?
女性がターゲット層、女性が被害者、女性の立場でしか分からない体のことも、なぜ「おじさん」たちが決めているの?
優遇されている男性でさえ社畜として死ぬまで働かされる「おじさん社会」で、ジェンダー指数「120」先進国の中で最低レベルの日本で、女性が人間扱いされるわけがなかったと著者は言います。
どんなに努力したって、男性と同等の立場で社会で成功できるわけがない。
所詮、無理ゲーだった。
広告代理店でクリエイターとして働いていた著者は、最近でいうところのTwitterで炎上した「西武そごう」の広告の話題を例に挙げています。当時、問題になった医大入試の女性差別にも触れているこの広告で「男も女も関係ない。私は私」と自己完結させている。
明らかに「権力を掌握しているおじさん独裁社会」が問題なのは分かっているのに、敢えて敵をつくらず、自分の問題にしている広告。それは女性が「主役」の広告も、作っているのは女性ではないからだ。女性を応援しているはずの広告なのに、女をバカにしていることに気付かない。男性がコントロールしている男性メディアでは、JK、JCがミニスカートで登場し、男性キャストをサポートし、中年女性は一切出てこない。
決定を下すのはすべて男性だからだ。
私の「気づき」のきっかけは、たまたま手に取った本でパンドラの扉を開けたことです(私の場合は「83年生まれ、キムジヨン」でした)。そこから自身で調べるうち、自ら動きださなければ見ることのなかった情報と向き合うことになる。フェミ・リベラル叩き、インセル、ミソジニー、知らない言葉の意味を知り、大変なショックを受けました。過去の被害がフラッシュバックし、トラウマが蘇り、現実を知ること=見えていたのに見えないフリをしていた過去の自分を受け入れることはとても心の疲れる作業でした。
そして、その線を辿っていけば「政治・国会」に繋がっていた。
このブログを読んだ知人も恐らく「沖田さんもついに妖怪フェミニストおばさんに変身したのか」と思うでしょうwww。
親しい知人男性でさえ、痴漢の被害も共感してくれない。どうせ男性に話しても、結局は「トーンポリシング」で終わってしまうだろう。とはいえ、たとえ同性だとしても相手を間違えると「変人扱い」だ。簡単に打ち明けられない。
今の日本で「フェミニスト」という言葉を使うのはまだ早い。
まだ危険。正直、勇気がいる。
「いま、ジェンダーに興味もって調べてるんだ」
その言い方がせいぜい。それが精一杯です。
(↑本にも同じような経験をされた著者のエピソードが出てきます。おもしろ可笑しいくらいに大共感!)
それで、著者と同じような経緯を経て生まれて初めてのデモ「フラワーデモ」にぼっち参加しました。
この広い世界で同じ気持ちの人を見つけるのは至難の業です。とくに日本はまだまだ時間がかかります。でも、「何かしたい」という気持ちで小さな一歩を歩み出している人は必ずいます。
私がデモに参加したように。
誰かの言葉が、誰かの声が、きっと誰かの心を突き動かす。
フェミニストは非モテな女性やおばさんが変化するものでもなく、「自立しようとした女性」がぶちあたるものです。
そこで諦めて「おじさん社会」に骨をうずめるか、少しは抗って次世代のために声を挙げるか。それだけの違いです。
「先代の妖怪フェミニストおばさん」が怒ってくれたおかげで住みやすくなっているのも事実です。だから、怖いからといって怪訝に扱うのも違うと思います。
著者は広告業界の方だからエゴサしてこの感想に辿りつくかもしれない。
そうと信じて伝えたい。
この本はちゃんと日本の隠れフェミニストに届いていることを。ちゃんと響いていますと伝えたい。
普段、Twitterをやらない私ですが、著者が起こしたブームメント「#検察庁法改正案に抗議します」をリツイートしてました。だけど、ごめんなさい。誰から始まったかまでは知りませんでした。ただ、私もたまたま「その空間」に居ました。
著者がこの本で一番に伝えたかった韓国のフェミニストの言葉はここには書かないが、あの言葉で心が震えた。
敏感な人は既に気付いている。
1人では微力だが、その輪は少しずつだが広がっていると感じる。
バタフライエフェクトは起きていると思います。
この本を、目覚め始めた隠れフェミニストにお勧めしたい。