憧れのFanta、あの頃、ファンタは太陽の味がした。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

ファンタの広告

1970年頃、たいていの家庭では、牛乳の他に何かジュース的な飲み物を酒屋さんから定期的に注文していた。うちの家ではキリンレモンか三ツ矢サイダーだったけれど、リボンシトロンとか、中には米屋さんからタケダのプラッシーというキュートな飲み物をとっている友達ん家もあった。ただ、どういうワケか「ファンタ」を定期注文している所は少なかった。当時は、コカコーラを飲むと骨が溶けるなんて、奇怪な理由から小学校では禁止されていたので、同じ炭酸飲料のファンタも大人からは敬遠されていたのだろう。だから飲みたい時は、自力で買うしかない。それなのに、ファンタはなかなかの高額商品だったのだ。「私のファンタ飲んだのダアーレ?」というCMを観るたび、ボクたちはますますファンタに憧れた。同じ頃、ペプシからもミリンダというライバル飲料が登場し、しかも関西では少し量の多いチェリオなる強力な炭酸飲料の出現もあって、どの炭酸飲料を飲むかという選択は、どのアイドルを応援するかと同じくらいの決断が必要だった。でも、やっぱり、ピチピチはずむ太陽の味。というファンタのキャッチフレーズを、ボクたちは忘れない。74年には、アップルとレモン味も出たけれど、ファンタと言えばオレンジとグレープ。あの頃に戻って、今でも時々「ファンタスティック!」と叫びながら飲みたくなるのである。

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