星新一の毒に、今の世のヒントが隠れているのかも。 | 宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

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70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

きまぐれロボット

私がはまったのは中学時代。1972年の文庫、写真の「きまぐれロボット」という1冊からだった。その後、「ボッコちゃん」「マイ国家」「妄想銀行」「おのぞみの結末」・・という具合に。星新一の世界は、活字が苦手だった当時の私でもなぜかスンナリ入っていけた。難しいSF大作というのではなく、それでいて単なるコメディでもなく、必ず作品の中に毒がある。その猛毒に、きっと当たったのだろう。あの頃はマンガでも、藤子不二雄の「笑うセールスマン」や、ジョージ秋山の「ざんこくベィビー」などちょっとブラックな笑いが台頭していた。世の中が経済成長に直進していた時代だからこそ、「ちょっとまてよ!」と水を差すシニカルさを若者は望んだのかもしれない。71年の「ボッコちゃん」に収録された中に「おーい、でてこい」という話があった。経済成長中心の世の中で、ふと見つけた巨大な穴に人々はゴミや産業廃棄物を次々と放り込む。数年後、最初に入れたゴミが天からポトリと落ちてくるというオチなのだが、その恐怖がようやくわかる気がする。毎年増え続ける天災を思うと、このストーリーがつい頭をよぎる。ツケは必ず回ってくる。天から回ってくる。そのヒントが書いていないか、もう一度、星新一を読み返してみることにしよう。秋の夜は長くて、そして深いのだから。

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