momoの、コロニー職員時代の同僚
片山紀彦氏より、投稿文が寄せられました
紀彦さんは・・
「レベル7 現地から」の作者 片山玲子さんの
よき理解者・よきパートナーでありますo(^^o)(o^^)o
以下 紀彦さんから送られてきたメール文を
そのまま、掲載いたします。
ぜひぜひ・・お読みいただけるとうれしいです
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こんばんは。
お言葉に甘えて。今度は僕の拙文、投稿しちゃいます。
重たくてスンマセン。
そしてちょっと偏っているかもしれません。
誤解を生むかもしれません。
でも、こんな事を感じているフクシマのオヤズも居るのだ
と言う事を知ってもらえたらと思ってます。
あ、玲子も第三弾、脱稿間近です。
♪片山紀彦♪
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【フクシマ原発とアズマイチゲ】
㈶日本自然保護協会 自然観察指導員
福島県会津美里町在住
片山紀彦
原発事故の後、被災障害者への支援や楢葉町からの避難者の支援活
動以外は、燃料が入手困難になった事もあり、ずっと引きこもっていた。
しかし、どうしても、どうしても森に行きたくなり、3月25日。
勝手にフィールドにしている我が家のすぐ裏山に出かける事にした。
家の周りには放射性物質をしっかりと含んでいるだろう雪が、まだ残っ
ている。
森の入口に着く。陽当たりの良い斜面の雪は既に融け、柔らかそうな土
が覗いていた。
ふと目に入る白い花のつぼみ。…アズマイチゲだ。
思わず斜面を駆け上がり、ひざまづき、その開きかけた白いつぼみに触
れた途端、熱いものが込み上げ、目の前が滲んだ。
この時の感情を言葉に表す事は今も出来ない。
悲しみ、悔しさ、怒り、絶望…すべての負の感情が塊になって駆け巡
る。
しかし、それと同時に何故かとても不思議な喜びが、次から次へと溢れ
出て来る。
毎春、見慣れてしまったはずの花を、こんなにも美しく愛おしく感じられ
たのは本当に初めてだ。
そして、この花は「正しい」と思った。理由などはない。
生命体として、この星に生きるにふさわしい「正しい」存在だと、只々、そ
う感じた。
あれから3ケ月。
まるで何事もなかったかのようにTVでは狂騒的な番組が早くも復興を遂
げ、ラジオもまた平常を装い始めた。
しかし被災地では、未だ避難所生活を余儀なくされている、たくさんの人
たちが存在し、12万以上の民が流浪を続けている。
ましてや我が福島では更に「ゲンパツ」が行く手を遮り、死の灰を撒き散
らしながら、
今尚、ブスブスとくすぶり続け、明らかに意図的に少しずつ暴露される真
実は、県民の希望と未来と人間関係をズタズタに切り裂き続け、人々の
明日を粉々に砕いてゆく。
その原発が吐き出す放射能の汚染は事故に限らない。
原発は原料となるウラン採掘の現場から周囲の環境を汚し続け、人々
の暮らしを蝕む。
採掘の際に出る放射性物質により土地や水を汚染され、しかもわずか
な見返りと共に劣悪な現場で働かされ、被爆をしているのは、米国先
住民やインドの先住民、アボリジニ、南アフリカなどの被差別民であり、
その地域に住む社会的弱者だ。
そして今回の事故でも明らかなように、構図はそのまま稼働する現場に
も当てはまる。
それだけではない。
稼働時の放射性廃棄物や、稼働を終えた後の核のゴミも、過疎の進む
地方へと押しつけられる。
1基の原発が1年間に生みだす核のゴミの量は広島原爆の300~900発
分にも相当する。
今我々は、その「死の灰」を青森県六ヶ所村に押しつけている。
しかも稼働する限り排出され続ける、この核のゴミの安全な処理技術や
管理方法は未だ確立されていない。
このツケは福島原発の事故処理と共に、長期に渡ってこの国の次の世
代へも押しつけられる。
しかし、その許容にも限界が見えて来た。
そこで今、この国は、米国と共に放射性廃棄物をモンゴルに押し付けよ
うと画策している。
原発の存在によって被爆をしているのは、原発を享受し、電気を湯水の
ように使い、快楽に溺れた見返りとして、被爆をしている我々日本人だ
けではないのだ。
ところでもう一つ。事故後、とても腹立たしく感じている事がある。
大気汚染や土壌汚染、海洋汚染とそれにまつわる海産物や農畜産物
の汚染、或いは家畜やペットの汚染、そして育児や教育環境の汚染と
いった、人間の経済活動や生活環境に関わる影響ばかりが問題視さ
れているが、とんでもない間違いだ。
被爆しているのは人間だけじゃない。
地球を支え、人間の暮らしを根底で支えてくれる、名も無い、否、名前も
知られていない
無数の生き物の上にも容赦なく放射能は降り注ぎ、彼らの生命と彼らが
構築する健全な環境すべてを蝕んでいる。
地球と呼ばれるこの惑星は、45億9500万年もの時間をかけて「人類」と
いう種が産まれ落ちる環境を整えてくれた。
その環境を整えてくれたのは言うまでもなく、人類以外の数え切れない
ほどの他の生命の営みだ。
以来、約500万年。「人類」という種を今まで支え続けてくれたのは、い
ったい誰なのだ ?。
生命維持に絶対に欠かす事の出来ない酸素や水を生みだし、人類の衣
食住すべてに関わる恵みや、文明を支えて来たエネルギーの源を、何
一つ文句を言わずに与え続けてくれたのは、いったい何処の誰なのだ ?
私たちは今、私たち人類の命の恩人である、地球生命体すべての存在
に気づかなくてはいけない。
そして命の恩人を犯し続けてきた愚かさに、目を見開きしっかりと向き合
わなくてはいけない。
GNPではなく、GNH「国民総幸福量」と、それを支える施策として自然環
境の保護を国策の第一義に謳うブータンの首相は、かく語る。
「わが国も、経済成長や物質的な豊かさを追求する事が幸福であると勘
違いし「心の問題」をおざなりにしていた時代がある。
しかし私たちは心身の健康があるからこそ幸せを追求できる。その私た
ちの身体は自然の要素で構成されている。
もし自然が破壊されたら、当然、私たちの体も持ちこたえることは出来な
い。
そして多くの人は幸せと喜びを混同している。喜びは味覚や嗅覚などの
感覚が満たされたときに感じるもので身体的なもの。
しかし、この喜びは一瞬のもので、すぐにどこかにいってしまう。これは
幸せとは違う。幸せとは長く続くものである」(筆者要約)
ブータンにも電化製品や車もあるが、人々はそれらに溺れるような暮らし
はしていない。
それらを認めながらも質素で慎み深い暮らしを望み、生活の工夫を楽し
み、笑顔で歌を唄いながら仕事をし、余暇にもゆっくりとした時の流れを
楽しんでいる。病気も少なく、事件もほとんど存在しない。
そして家族を愛し、隣人を愛し、自らの国を心から愛している。
そんな幸せなブータンの人たちの暮らしに、原発ごときが入り込む余地
などはない。
私たちが求めて来たものもブータンと同じく「幸せな世界」であったはず
だ。
しかし今、この国に住む、私を含めた多くの人たちが選択をして来た、物
質的な豊かさや快楽を至上とする、刹那的でその場しのぎ的な社会は、
いったい何を産み落として来たのだろうか ?
もし仮に今回の原発事故が無かったとしても、私たちと次の世代は、エ
ネルギー資源の枯渇や処理しきれずに増え続けるゴミ。
そこから発生するダイオキシンを始めとする環境ホルモン。温暖化や森
林環境の破壊による砂漠化。
オゾン層の破壊など地球環境の変動、極端な気候変動と天災の多発、
それに伴う食糧危機。
癌の増加、新型ウイルスの脅威、そして人類を何回も皆殺しできる量に
達している核兵器の脅威…等々、
危機的な問題を、既に十分すぎるほど抱えている。
私たちが、目先だけの、わずかばかりの快楽の見返りに手にしたもの
は、幸せとはほど遠い、
絶望的とも言えるほどの負の遺産ではないのか。
先ほどのブータン首相の言葉は
「自らの国を先進国と呼び、自らを文化人と誇らしげに呼んでいる人たち
の「脳みそ」は何のために与えられているのですか ?」と、我々に問いか
けている気がしてならない。
さて季節は移り、我が家の縁側から望む会津の山々も日を追うごとに濃
い緑を滴らせ始めた。
野の花々も何事もなかったかのように生命のバトンをつなぎ、
森の中ではガクウラジロヨウラクやニッコウキスゲが静かに質素に、そし
てとても美しく誇らしげに咲いている。
しかし、あの日、真っ白なアズマイチゲのつぼみに降り注いだ放射性物
質もまた、この星の生命の法則に従って確実にリレーされ、姿を変える
度に濃縮をし、毒性を強めてゆく。
そして近い将来、巡り、巡って確実に私たち人類の体を蝕む。
もう一度言おう。
私たちは、この生命、身体を支えてくれている、すべての生き物を汚して
しまった事と、その罪の重大さに気づかなくてはいけない。
自らの傲慢さと、それによって自らの首を絞めている哀れさに、しっかり
と向き合わなくてはいけない。
そしてフクシマ原発は「一人一人の心の中にあるのだ」という事に気づ
かなくてはいけない。
私たちが還るべき場所は、あの日々の中には無い…という事に目覚め
なくてはいけない。
私たちが辿るべき新たな道は、あの日々と同じ道の上には無い…という
事に目覚めなくてはいけない。
私たちが、もしもまだ「幸せな明日」を望むのであれば…。
私たちの子供や、その子供らが何気兼ねなく、野山を走り回れる明日を
望むのであれば…。