$ユニット CRG ~キャスト・スタッフ 公式blog~-大阪にて

ども、ブラックです。
ブラック&シュールじゃありません、ブラックです。
このCRGのブログタイトルを、
『K.岡田のエブリデイ奮闘blog』
に改名しようかどうか悩んでいる市村です。

最近よく『大切』って言葉について考えたりする訳よ。
(だからって別に俺に何かあったとか、そういう訳ではない)

手に入れたら最高の幸せを味わえるモノがあったとして、
それがどうしても手に入れたいモノだっとして、
そのモノが違う場所で、違う人の手で幸せだっとして。
それでもそのモノの幸せが『大切』って感じれるか。
たぶん曲がりくねった感情が溢れかえったりする訳だけど、
それを見守ることもきっと『大切』なんだろうなって思う。

『幸せ』って観念は人それぞれだけど、
手に入れる事は誰しもきっと簡単な事で、
一番難しいのは、手に入れた幸せをずっと維持できるか?って事かも。
もしそれが段々と色褪せてしまう感情なら、手に入れる事が恐かったり。
本当に大切なモノはガラスケースに仕舞って眺めてるのが一番なのかな。
相反する完全に矛盾した不完全な気持ちを『幸せ』って思えるなら、
それほどまでに素晴らしい人間はいねえよな。
悪いけど俺には、ガラスケースに仕舞って眺める強さも優しさもない。
だからって、手に入れてずっと大切に出来るほどの勇気もない。

いつか壊れてしまうなら、最初から触れないのが一番なんだよ。

そんな感情をこの一年で身をもって思い知らされたね。
多分この考えはこれからもしばらく続くんだろうな。
少なくとも最後まで『大切』を守れた人間を周りに見た事がない。
一番近くにいるはずの家族さえもね。
『幸せを求めて、幸せに怯える。』
そんな臆病な人間ってコレいかに?って思う訳だけど、
そういう臆病さもまた優しさなんじゃないかって俺は思う。

絶対的な『幸せ』や『大切』ってのは本当はないんじゃないかと。
唯一あるとしたら、夜寝て朝起きた時、絶対に呼吸があるということ。
そんな当たり前のことを、実は『幸せ』だと思えたらいいよな。
こうして俺が下らないブログを長々と書いてる間に、
どっか知らない地球の裏側で死んでいく人がいる。
じゃあ今こうして下らないブログを書いてる時間も愛しく思える。
人間って結局、自己の中でしか満足を補完できないんだろうな、俺も含め。