ずっとナイーブだ、繊細すぎると否定混じりに指摘されてきた。
自分でも、こんなこと気にしても仕方ないのに…ということを頭では分かっていても気持ちが追いついてくれなかった。
上京するに伴い、
一人で過ごす時間が長くなり、
自分自身の心と向き合う時間も長くなっていった。
迷ったり悩んだり、嫌な思いをさせることや、心配かけることを分かっていながらもどうしようもできない気持ちに襲われて無茶をしてしまったり。
強くならないといけないと思い込んでた。
大きくならないと、
傷付いてはいけないと、
受け入れないといけないと、
脅迫的に自分に負荷をかけたり、意地にならせたりしていた。
昨夏から、
心の動くきっかけがあった。
理由は分からなかったけど、
すごく気になって仕方なかった。
どんな手段を使ってでも、心を動かしてやろうと躍起になっていたそれまでとは違った。
知れば知るほど、自分のことは二の次で
この人の思考や囚われているものに悲嘆したり共鳴したりして
涙がでた。
私があなたなら、きっと同じようにしてしまう。
だから私には、ただしょぼくれることしかできなかった。
目の前の人にここまで共鳴して涙がでることなんて今までなかった。
なんであなたが泣いてるのって言われても、
理由は分からなかった。
理由なんか分からなくても、悲しく思う気持ちや無力さが自分のことと同じようにわいたし、
自分の小ささとか
小手先だけの大人ぶった処世術がどれだけ無意味だったかとか、思い知った。
ただ人に与えようとだけして、
何も求めないで
自分の力で守ろうとして、
何も顧みないから
周りからできることなんか何もなくて
そんな人って本当にいるんだなと思った。
でもそういう辛いこととか、思い通りにいかないことだけじゃなくて
どんなことが楽しいのかとか、
なにが嬉しいのかとか、
どうしたら喜んでくれるんだろうとか、
とにかくそういうことをもっと知って共有したくなった。
*
意味とか理由とか訳とか、
そういうことは度外視で心の動く出会いってあるということを知った。
正論が正しいわけじゃないことを実感したときもすごい心が動いたけど、
思い返すだけで涙ぐむくらいに
自分の心が開ける存在があることがびっくりする。
弱いことや傷ついたことや
本当は守られたいこと、でも人を守れる人になりたいこととか
見たくなかった部分が肯定された気がして
日々心の拠り所にしてしまう。
守るべきものがあるからこそ、
自然と頑張れることとか強くあろうとする気持ちが分かったし
帰れる場所があることが大事なことだって感じれている。
そばに誰かがいることってとても有り難いから
後悔しないように、偽らないように、
いつもただの自分のままで接しよう