差別について | 紺碧のソラの雲

差別について

今の病院は保育園の園長先生の紹介で行く事になった。
無知でバカな親だった俺と妻は、娘がてんかんであるなんて全く思いもせず「こんなことが娘にあるんですが…」と保育園で相談したのだ。
恐らく園長は経験上思い当たる点があったのだろう。
そのような病状に詳しい病院を紹介していただき、今通っている。

てんかんは幸い(と言っていいものか)ある程度は薬で押さえる事ができる。
ただ、昔からてんかん患者は(実際はちゃんと薬を飲んでいれば大丈夫なのに)突然泡を吹いて倒れるとかの認識が世間にあって差別に繋がる状況があるらしい。
例えば、小学校でてんかんの子供に水泳の時に他と異なる帽子をかぶせるなど、要は発作が起こって溺れてはいけないという過剰反応がゆえの差別がある。

実際に溺れたらそれは責任問題になりかねないし、目立つ帽子を被せたい学校側の対応もわからなくはないが、薬である程度制御できるし、人にうつしたりするようなものではないし、制御できている限り何も健常者と変わりがないのにも関わらず、無駄に差別を助長するような行為はできれば避けたい。
それが親の本音だ。

だから、このブログの事は知り合いには教えない。
親戚や兄弟にも教えるつもりはない。
じゃあそもそもブログなんか書かない方がいいと言う人もいるだろう。
矛盾しているかもしれないが、個人が特定されなければ、てんかん患者の現状や気持ちを世間の方々にわかって欲しいという下心はある。

病院の先生は、娘がてんかんであることを学校の先生に伝える必要はないと言う。

娘はアテネオリンピックを見て以来、何故か「大きくなったらシンクロの選手になりたい」と言っている。親としてはじゃあ、水泳を習わせようかと当然思うよね。
病院の先生に相談したら「どんどんやらせなさい。普通の子と同じで構わないのよ」と言ってくれた。俺は泣きそうになった。近々娘はスクールに入会するだろう。

娘は自分が「てんかんであること」を知らない。
ぼーっとする事があるから病院に通っているということはわかっているが、病名の認識はない。それは娘が自分で他者へ話す事への不安と、それによる差別が起こらないようにという配慮の為だ。

娘に今起こっている問題は、また別の機会に書くことにする。