医師や看護師の回診時と、リハビリとトイレの時以外は、ヘッドホンを着けてベッドでゴロゴロしていた。
そうしていなければ、精神がやられてしまうと思ったからだ。

お昼過ぎ、少し気持ちが落ち着いてきた頃、身体を拭こうと、病室にあるバスルームに入った。
そこで腹帯を外し初めて傷口を見た。

なんやこれ!
へそ!ヘソ!臍!どこ行った⁈

あるべきはずの位置からヘソが消えていた。



夕方、母が面会に来た。

  どんな?

  昨日抜糸したよ。
  んでさっき傷口見たら
  ヘソが無くなっとった!

  ええ?
  切り取られたん?

  わからん。
  あのオヤジ(主治医)雷様かも知れん。

  ヘソぐらい無くてもいいやん 笑笑

  ヘソ無かったら カエルじゃん!
  おかしかろうよ!

声を抑えて笑う母に、昨日抜糸時にあった悲劇と、夜のお腹ナデナデプレイの話をした。

  先生も若い子
  ちょっと構ってみたかったんよ。

  若い子?

  先生からしたら、ちょうど良い年頃なんよ。
  あんたぐらいが。

  なんやそれ!

母は必死に声を抑えながら、顔をぐちゃぐちゃにして笑った。


母が帰ったた後、ヘッドホンをして横になった。
母と話をしていた時も音は気になっていた。

これ以上はヤバイかも知れない。


私は以前、過呼吸で何度か倒れた事がある。
パニック障害だ。
それを見兼ねた膠原病の主治医A先生が、いくつかの眠剤と精神安定剤を処方してくれていた。
発作が出そうになった時は、早めに安定剤を飲んで予防していたが、入院時、持っていた安定剤と眠剤は薬剤師管理にされた。

看護師に安定剤を出してもらえるよう、要求をしたが聞き入れてもらえなかった。

誤魔化しながら我慢するしかない。


目を閉じて、じっとしていると、酷く耳鳴りがした。慣れたとはいえ、これもイヤな音だ。
昔 この音に悩まされていた時、友達が教えてくれた事を思い出した。
生きている証拠だと。


ああ そうなんだ
生きているんだ 私は
手術が終わり
痛いだけの時期も過ぎ
今まで強くかかっていた
身体への刺激や負荷が減り
身体が小さな刺激を拾い始めたんだ
私の身体が生に向き
切り離されていた現実に
繋がり始めたんだ


音はまだ気になる。
だが精神は少しずつ落ち着いて行った。




夜 看護師が早めに眠剤と精神安定剤を持って来てくれた。