近況報告を兼ねて、今の私自身を書こうと思います。

どんな時でも前向きな気持ちに、昔のなんでもポジティブだった自分を取り戻すために

普段の生活で、今までは人の幸せを見るのが辛かったのだけど

それはもう感じなくなりました。むしろ、自分の事のように喜べるようになった。

少し前に、夜のバイトで仕事を教えてくれる先輩の誕生日に

その日のシフトに入っているメンバー全員でサブライズ誕生日をした時も

私は涙をこらえるのが必死だった。辛うじて涙目になったところで

抑えられていたから、他のバイト仲間にからかわれたりもしました(笑)

私よりずっと若い子達ばかりで、新しい環境は私にとって

すごくいい影響を与えてくれている。それに、女の子もかわいいし

お客さんがいない時は、今時の子だなって思うけど

いざ接客する時になれば、ちゃんとした言葉遣いと対応している。

男の子もすごく礼儀正しくて私も見習わなければならないな。

夜の仕事は順調で、基本はキッチン周りでお酒作りや簡単な調理をしているけど

元々の私の性格を店長が見抜いたのか、最近ではホール接客も

するようになりました。その分、また覚える仕事が増えて大変にもなったけど

昔にバイトしていた蕎麦屋、GSスタッフの頃にしていた接客対応を思い出して

なんとかこなしています。どうやら私は仕事自体は

嫌いでらないらしい。すごく楽しめているし何より疲れは疲れでも

すごく心地が良い疲れです。自然と笑顔になっているような

そんな良い疲れ方をしているみたいです(笑)

 

 ここまでは、最近の私のことですが

これより書く事は、今日の私の話になります。

本当に書きたかった事はこれから書くのだけど

少しだけ、後ろ向きな気持ちが出るかと思います。

 

 今日は嫁さんの誕生日。生きていたら45歳かな。

今年の6月で二年が過ぎる。

私にとって、今日とその命日だけは何をやっていても

涙が止まらない。人前ではさすがに耐えられるけど

部屋にいる今はぼろぼろです(笑)

今は人前に出れる顔をしていないだろう。

昼間の仕事で夜遅くまで働いて、花束を買いにいけなかったけど

嫁さんの写真をずっと抱いている。

今でも、心から愛しているよと伝えているけど届いているかな?

今私のブログを見ている人にも、そう想える大切な人がいると思うけど

ちゃんと相手に伝えていますか?言わないと伝わらない事がたくさんありますよ。

私のように、無くしてから気付くのは辛いことだから

今すぐにでも想いを伝えてください。

もしかしたら、私と同じように伝えたくても

伝えられない状況の人がいたとしても、です。

心の中にいる大切な人に向けてでもいいので

それを口に出して、声にして届けて下さい。

私はそうしています。今の私がいられるのも

大切な嫁さんが私のそばにいてくれたから。

 

 愛しているよ、嫁さん。

 

https://youtu.be/cHHLHGNpCSA

 

 
 少し形は違うけど、嫁さんと私が好きな曲で
今私が感じてるいる気持ちを歌にしたかのようなものです。
これを聴いている時は温かい気持ちと涙が自然に出てきます。
とても良い歌です…音楽に国境はないと言うけど
私もそう思います。

 今まで仕事がない日はただ辛いだけだったのに

今日は全然そんな気持ちにならない。家にいても辛くならずに

落ち着いた気持ちのままいられる。不思議な感覚ですね。

昔集めていた色んなCDを引っ張りだしてきては、それをずっと聴いているけど

懐かしい曲から、嫁さんとの思い出がつまった曲から

私の感情を動かすものがたくさん出てきた。なんだろう?

自分の中でやっと受け止められる悲しみになったからか?

それとも、自分が変わるきっかけがあったからか?

今は悲しさも自分の一部として受け入れて、それを大事に扱えるようになれた気がします。

辛くて悲しいって気持ちは変わらずあるのに、それが自分を苦しめるものにならなくなってきた

本当に不思議です。

 

https://youtu.be/JRfuAukYTKg 

 

 中でも思い出が詰まった曲は上で挙げたものになります。

良い歌は何年経とうと色褪せないものです。それがその頃の思い出と繋がれば

より鮮明に記憶に残っている。とても幸せだった時間だ。

 

 

 今までの私はいかに一人の時間を作らないように

余計な事を考える時間を自分に与えないように考えてきた。でも、今は少し違う。

ゆっくりとした時間の流れを感じて、今を生きている事を実感する時間をもとうとしている。

残された者にとって、残りの時間は辛く、切ないものではあるけど

一人じゃないって事を私自身が本当の意味で分かるようになれたからかな?

二曲目に挙げたものは、まさにそれを歌っているかのような曲です。

興味が少しでもあるなら、是非意味を調べていただきたいものです!

それは嫁さんとの繋がりだけじゃなく、今はもう触る事も話す事も出来なくて

けど、それが終わりではなく、私の中にちゃんと生きて残っているものがあると

実感できるからです。

そして、それは私の友人達にも同じ事が言えます。今を生きている限りは

この繋がりが消える事はないし、私に伝わっている感情を

今度は私から誰かに伝える事で新しい繋がりが出来ていく。

それを必要とされているかは問題ではなく、気持ちの繋がりが思わぬタイミングで

救われる時が必ずくる。こんなにも温かいものが今自分の中にあるなんて

考えてもいなかった。

同じような苦しみを抱えている人、そうでなくとも他人から見たら

些細な悩みでも、本人にとっては辛い事があったとしても

いつか大切な何かに気付く時がくる。私自身がそうであるように

この気持ちは誰でも持っていて、その助けになれたら嬉しく思います。

実を言えば、昨日泊まりがけでデートをしていて

この事を伝えたらその人はありがとうと言って泣いてしまいました。

泣かせるつもりはなかったけど、この涙は嬉し涙だからって言っていたから

私は間違った事を言ってない、と思いたい!

 

 人は誰でも自分の足で進まなければいけない時がある。

進むために痛みを伴い、苦しい時もあるだろう。

けど、それを決めるのは自分の意思だけだと思わないでほしい。

辛い時は、自分の中にある大切なものと共に歩いていこうとする覚悟が

それまで見えなかったものを明るく照らしてくれる。

それが思い出か、夢か、目標かはその人次第だと思う。

自分の中にある大事な何かと一緒に生きていこうとする意思は

それまで自分が受けてきた想いの強さだけ、大きく成長出来る機会だと思う

うーーん、なんかうまく言葉としてまとまらず、伝わるか怪しいけど

見ている人に私が言いたい事伝わるかな?

 昨日の今日で何を言っているんだと思われるようなブログに

なると思うけど、もうひとつ分かった事があります。

それは自信、という事だと思いました。

昨日は底無し沼のようなものに、自分の埋めたいものが吸い込まれて

何も自分に残らないような、埋まらないような事があると書いたけど

それってもしかしたら、自分に対する自己肯定感がとても低いからなのでは?

そう思えてきました。きっかけはとてもシンプルです。

昨日の夜に、突然山へ走りに行きたくなったからです。

少しだけ話すと、私は若い時に走り屋をしていた事もあって

今までは、もうそんな命知らずな事は出来ないなと思っていたのに

何故か昨日はものすごく走りたい気分になった。きっかけは多分、家に居たくなかったから。

まぁ、最初は事故ったとしても別にいいや感覚で走っていたけど

ドノーマルの軽車でどこまで遊べるか試したかったのもある。

けど、不思議な事にすごく楽しくなってきて、久しぶりに車の中だったけど笑えた。

何故か分からないけどあの頃と同じような怖さより面白さの感覚が上回るような、そんな気分でした。

誤解のないように付け加えておくと、別に死んだとしてもいいやって最初は思っていたけど

途中からはそんな気持ちは一切なくなりましたからね!

事故を起こしたら起こしたで、その道が塞がれるし、何より夜中とはいえ周りに迷惑をかけてしまうから。

車自体も大したものじゃないから、攻め込めきれないのもあるし、まぁ事故るハズもないんですが(笑)

その時に聴きながら流していた曲のせいか、それとも気分が上がって一時的にそうなったのか

よく分からないけど、自分に足りないものが自信だと分かりました。

ちなみに、私の大好きでその時にかけていた曲はこちらです。

https://youtu.be/5y_KJAg8bHI

 

 

 なんていうか、自分で今までのブログを読み返しても後ろ向きな気持ちばかりが強く出ていて

それは私の中でどうにも抑えきれない感情ではあるけど

何一つとして前向きな気持ちが表に出てないんじゃないか?ブログで思っている事を書いているのだから

暗い感情がどうしても前に出てきがちにはなってしまうけど、それって本来の私の良さを

全てかき消している気がしています。

元々はバカだと言われるぐらいの超前向きな性格があって、今までの私の生活があった。

仕事でもプライベートでも、人を楽しませるのが好きな私だから

よく余計な一言も多かった気がするけど、ムードメーカーとして役立っていたはず(笑)

そんな当時の自分自身の事を思い出しながら、夜中走っていたら

なんだかくよくよ考えてるのが馬鹿らしくも思えてきました。

それは嫁さんの事を考えるのがどうでもよくなったとか、これからの自分がどうでもいいとか

そういう悪い意味ではまったくなくて、自分で考えた所で、自分にはどうにも出来ない事を

悩んでいる事自体、意味がないんじゃないかってそう思えたからです。

考えて行動するよりも、先に体が動いてしまう私が、頭を使ったところでいい答えがでるはずもない

今まではそれでたくさん失敗もしてきたし、良い結果に繋がったこともあって

それが正しいとは思っていないけど、今の私にはそれが足りないんじゃないかと思えてきました。

自分が信じたことを突き詰めていけば、結果は自然とついてくる。

努力を続けた者だけに、結果は答えてくれる。

こんな簡単で大事な事を忘れていたんじゃないかって、そう思えています。

今の自分に出来る事は多くはなくて、これからも後ろ向きな気持ちに引っ張られながらも

生活は続いていくんだろうけど、目を向けるのは自分に対して

もっと自信を取り戻すことなんじゃないかって、そう今は考えています。

誰だって、後ろ向きな気持ちばかりのブログを見ていたって楽しくはないし

こんなに苦しんでる奴ですら、前向きな気持ちになれるんだよ!って事を

私は伝えていかなければならないとも思えてきました。私はこのネットを通じて

色んな人から支えられたり、励まされてきたのに

今の私がそれに答えられているのか?そう考えた時に、答えられてないと思います。

なので、これからはその受けてきた気持ちに答えられるよう

自分なりに出来る事から始めていくと決めました。今日から夜の仕事と

明日から昼間の仕事のWワークが続くけど、きっと大丈夫だろう。

あの時は時間を忘れるためとか、ふざけた事を言っていた自分に

気合いをいれなおして、なんのために頑張るか?そのひとつの理由としては

自分のために頑張ってみよう、そう決めることが出来ました。

ただ、夜中に走りに行って、気分がよくなっただけのものかも知れませんが

この気持ちを忘れずに、昔の自分を取り戻せたらいいなと、そう思います。

 

 編集を間違えて投稿してしまった・・・

この正月休みの中で、音楽に触れる機会がすごく多くなった気がする。

それは前まで嫁さんがよく聴いて、好きだった歌を聴くだけですごく辛くなっていたけど

今では平気とまではいかないけど、最後まで通して聞けるようになった。

中には私と共通の歌であったりもするのですが、嫁さんがよく好んでいたのは

BUCK-TICK 黒夢 Eminem エンヤ イマジンドラゴンズ この辺りが多かったかな

前にも嫁さんの性格について触れたけど、男勝りな性格もあってか

とても挑戦的なものから、しっとりとした曲まで本当に色んな歌があった。

私が好きなアーティストで、誰が歌っているか知らなくても曲そのものは知っている

そんな事が頻繁にあったりもして、出会った時にはよく音楽の話をしていました。

私はアコギを学生の時にかじっていた程度で、ドラムの方も経験していて

嫁さんはドラムとピアノを弾ける人でした。

今にして思えば、私と嫁さんをちゃんと繋げてくれたのは音楽なのかも知れない。

私が邦楽ではなく洋楽をよく聴いていて、例えばアーティストのEUROPEで

ファイナルカウントダウンがすごく好きっていった時は、年齢いくつなの?誤魔化してない?

そんな風にも言われたのを覚えています。

まだ22になったかどうかの時だったのに、30代に思われたようで少しショックだったのを

今でもハッキリ記憶しています(笑)

 

https://youtu.be/j5-yKhDd64s

 

 

 その中でも、特に思い入れの強い曲をふたつ残します。

本来であれば、和訳された動画を載せて曲の意味そのものも知ってもらえたらと思っているけど

公式で扱われていない動画で、自分もチャンネル持っているからBANされるんじゃないかと

ビビって張り付けられません。たぶん大丈夫だとは思うけど、公式であれば問題ないはずだからね。
 

 

 

今日も家にいて、嫁さんの遺影の前で好きな曲をずっと流して、私が話しかけているけど

空耳でもいいから嫁さんの声が聞きたくてたまらないな・・・

昔の携帯の中に、ほんの数秒だけ嫁さんがしゃべっている動画が残っていて

どうにもならなくなった時は、いつもそれを聞いている。

私ではなく、もういなくなってしまったウチの猫に話しかけている動画です。

これはブログで触れたかな・・・?書いた記憶がない。

嫁さんがいなくなってから、普段はあまり寄り添ったり、近くにくる事がなかったのに

寝る時には必ず私の顔のそばにきてくれていました。でも、去年の10月に亡くなってしまった。

私がまともな生活をしていなかった時も、励ましてくれていたのか、ずっとこっちを見ていたり

にゃーと鳴きながらそばでかまって遊べって元気を与えてくれていました。

私は動物にすら心配されるほど弱っていたんだなって、その時に分かったけど

今では部屋に私ひとりだ。だからってずっと落ち込んだりはしていないけど

このなんともいえない気持ちはどうしたらいいのか分からない。

 

 前置きが長くなったけどタイトルに書いた分かったような分からない気持ちというのは

今でも私の心・・・というより、目に見えない何か大きな穴のような、空洞のようなものを

埋めるために、色んな事をやってみたり、新しい出会いを探してみたりしたけど

その穴は結局埋められるものではないと分かってきました。私の中の大きな穴は

例えば、新しく始めた趣味であっても、それに真剣に打ち込もうとしても

自分自身の心に響かない?留まらない?なんて表現すればいいのか分からないけど

その見えない何かを埋めるために一生懸命、穴を塞ごうとしても私の中を素通りしてしまう。

続かないとかそういう事ではなくて、埋められている気がしないといえばいいのかな?

それは人であっても同じことで。確かに私が気になる人と会ってデートや話をしている一瞬は

その穴が塞がっているかも知れない。でも、その喪失感が消えるなんて事はない。

私自身が今、中途半端な気持ちだからか?自分でどうなりたいのか決めきれていないから

この穴はどんどん大きくなるのか?時間が経てば確かに受け入れられたり、向き合える事が

増えてくるけど、この穴だけは時間が経てば経つほどに大きくなっている気がする。

どんなに趣味や気になる人で埋めようとしても、その大きくなる穴が全て吸い込んでしまうような

沼のようなものなのかも知れない。今はこの気持ちをどう扱えばいいのか

自分でもハッキリ分かっていないこの感覚と向き合える方法を探しています。

そうですね・・・やっぱり例えるなら穴というよりも、底無し沼のような感覚かも知れません。

今この事を書いていても、自分でもどう伝えればいいのか分からないのですが

読んでいる人には伝わるのかな・・・?

 私の今の気持ちをよく表している曲を紹介して終わろうと思う。

https://youtu.be/60ItHLz5WEA 


 どれだけ求めようと、もういない。
これは変える事が出来ない現実。埋めようのない事実。
忘れる事が出来ない罪でもある。
苦労をかけさせてさしまった事もそうだし
私を好きでいてくれた事に嘘はなかったにせよ
大変な思いをさせてしまっていた生活は私に責任がある。
嫁さんはそんな事を気にしないでと言っていたけど
ある本心を私にも言わずに
本当に最期の時まで言わずに持っていった事があるからもう確かめる事も出来ない。
それが嫁さんなりの優しさだったのかも知れないけど
私は本当の事が知りたかった…

 追記で、もうひとつ私の好きな曲を入れておきます


 今は耐えるしかない。心が壊れて崩れてもまた直せばいい。
そんな感覚です。
 まずは今朝の写真から貼り付けておきます。

 夜中から寝ては起きてを繰り返して体が疲れてしまうと思って
思い切って朝日を見にいったけど、寒すぎましたね。
今年はどうだったか…仕事にも復帰をし、夜にはバイトをしはじめて
働く事に関してはまともになれた気がする。
体力面では元々建設業に就いていたからまったく疲れを知らずにやれている。
むしろ、前以上に動けているようでもある。失敗やミスも前より多くしましたが…(笑)
今日は、今までの自分を振り返ってみようと思った。

 嫁さんが治療のために通っていた市立病院に今でも近くを通ると勝手に涙が出てしまうけど
その病院内で体調が良い時によく散歩した道を歩けるようになった。
疲れたらベンチに私が買ってきたいちごミルクを座って飲んで
そのベンチの近くによく来る猫とじゃれていたのを
同じ場所に行って、その時の事を思い出していました。
今でも変わらず猫ちゃんたちはいて、あの頃と違うのは私だけだなと思っていました。
悲しいと言うよりも、切ない気持ちの方が強いんだな…
あの頃はステージ4とはいえ、必ず元気になれる。
生存確率なんて関係ないと信じてずっと言い続けていた自分が
嫁さんがいなくなった今でもそう思えているからかも知れません。
私は諦めが悪く、悪い方向に物事を考えるのは好きではないから
たまに嫁さんからも、少しは真剣に考えなさいとよく言われていました。
よく言えば、超ポジティブ。悪く言えば楽観主義者かな?
そうはいっても、最高のパターンと最悪のパターンを常に同時に考えているから
最悪の状況にならないためにはどう動くか?
これだけをずっと考えて今まで生きてきた。
建設業では、小さなミスや横着行動が命を落とす原因になるからだ。
それは普段の生活でも同じ事が言える。
嫁さんは癌とは別に糖尿病にもなっていたから
視力が落ち始めた時から私が手を引いて階段を一緒に降りたり
靴を履く時にも私がしゃがんで肩に手を掛けてバランスを
崩さないように支えになっていたり
腎ろうの手術をしてそれに慣れてからもガーゼ交換や
お風呂で転ばないよう一緒に入って背中を流したり
色んな事をしてきたなと、思い出しています。
日帰り温泉にも電話予約して、家族風呂を借りてよく行ったな…
家では出来ない大の字になっても手足が浴槽に当たらない
広々とした露天風呂で楽しそうにしていたのも良い思い出です。


 これは近くの紅葉で、嫁さんは名探偵コナンが大好きでした。
推理モノやサスペンスに目がなくて、特に映画 から紅の恋歌がお気に入りでした。
主題歌の倉木麻衣さんの渡月橋〜君想ふは歌詞を暗記してアカペラで歌うぐらい好きだったな。
それと


 前にも書いたけど、私の中心にはずっと嫁さんがいて
17年間、喧嘩もあったし、楽しい事もたくさんあった。
その生活を続けるためならなんでもやってきた。
その生活を知っているからか、今の自分の生活には
満たされるものがない。
自分のために何かをするより、誰かのためになっていると
そう感じられる事の方が私は好きなんだろう…


 この一年を振り返るといっても、二年前から自分の中での時間が
止まっているかのような状態で、今まで何をしていたんだ?
そんな気持ちでいっぱいです。
それとは関係ないと思うけど、バイトが始まる時間まで
かなり間があるから海にきたら、雪ではないけど
風花のような小さなあられのような雪が降ってきた。
山間部では降雪があるけど、静岡県の平野部ではかなり珍しい事です。

 今日で一年が終わり、新しい年になるけど
いつになったら自分の時間がちゃんと動き始めるのかまったく分からない。
結局そうさせているのは外でもない、私自身だけど
今まで心が辛くなって行く事も思い出す事も嫌だった出来事を
考えられるようになったのは前に進めていると、そう思っていいのかな…?
そのひとつに、嫁さんが大好きだった曲を最期まで聴けるようになったのも
私の中では大きな変化だと感じています。
これからは、ブログに書く時には嫁さんや私が好きな曲を
載せていこうと思います。
知られている曲はあまりなさそうな気もするけど
嫁さんの趣味の一部を知ってもらえたら嬉しいです
今を生きていく上でひとつだけ自分に必要だと思えるものがあります。
今までのブログにもそれについて書いてきたから
なんだまたか、と思われるかも知れません。
それは、私が大切だと想う人と一緒にいられる場所。
私が帰る所に、待っている人がいてくれる事。
それが必要だと知る事が出来た。
どんなに色んな人と遊んだり、話をしたり、会ったとしても
みんなそれぞれの帰る場所がある。家族であったり、妻の元、旦那の元、子供の元であったり
守るべき人のいる場所がある。
今の私にはそれがなくて、愛情を伝えたくても嫁さんはもういない。
そんな事ばかりをいつも考えていました。
まぁ…それはこれからも変わらないかも知れないけど
私が気になる人と、デートを重ねていく上で何か違うなと思う事があって
私がしたいのは、愛情を目一杯伝えてそれを素直に喜んでもらえるのを見たい。
けど、それは相手が私の事を異性の男性として好かれていなければただの迷惑に過ぎない。
そんな事はないよと、口では言っても
私が伝えている好意が重いと思われる時もあるだろうなと
冷静になった時に自分でも思う時があります。
気になる人には積極的にアピールするから、相手との温度差があまりにもあると
フラれる原因にもなっていると、若い時から分かっていても
こればかりは変わらずにいます。恋は盲目と、よくいったものですね(笑)
嫁さんとの馴れ初めも、今になって考えてみると
最初はただの友達だったのに、実際に二人きりで会って
話を色々としているうちに、私も嫁さんもお互いが大好きになっていました。
私と初めてデートした時に、何処のコンビニで何を買って、何処で食べたのか。
外食デートの時には、私が考えたデートコースなのに、私以上にどんな会話をしたか、私から何をされたかなど覚えていた。
初めて体を重ねた時に、いつ何処で泊まったのか。
私でも忘れていたような事を、ずっと覚えていた嫁さんは、今でもすごいなと思います。
しかも、嫁さんは北海道から私が住んでいる静岡まで
会いたいと思った時に、自分から会いにきてくれた。
私も何度か会いに行っていたけど、私が会いに行くよりも
静岡に来てくれた回数の方が遥かに多かった。
今でこそ、静岡空港はあるけど、当時は静岡に空港がなく
東京の羽田から会いにきてくれた。
私もすぐに会いたかったから、羽田空港まで毎回車で迎えにいったものです。
なんで今、こんな事を思い出しているのか?
それは、私が部屋の掃除をしていて、知らなかった日記を見つけたからです。
かなりボロボロになっていたけど、嫁さんが使っていた
スケジュール手帳が出てきました。
その手帳は病気になる前のものだったから
読んでいくうちにたくさんの忘れていた思い出が私に元気をくれた。
その中には、別れてもおかしくない大喧嘩の出来事が書いてあったり
まだばーさんが生きていた頃の買い物や外食での出来事や
私の愚痴をじーさんばーさんに話をして、私が二人から
怒られた時なんかの事が書いてありました。
祖父母の後ろで、わるそ〜な顔をして私を見ていたのも思い出せた(笑)
本当に色んな事が書いてあった。特別な事なんてあまりしてあげられてなかったはずなのに
手帳を見ていると、普段は絶対言わなかったのに嬉しいだとか
カッコいいだとか、そんな言葉がたくさん書いてあった。
その時にはまた大泣きをしてしまいましたが、どれたけ想われていたのか
よく分かるものが見つかって、とても嬉しかった。

 今の私が気になっている人は、私に好意があるかと言われれば
異性としては見られていないだろう。
私が今ほしいと思っているのは、上で書いたような生活がほしい。
当たり前のような毎日を過ごしていく中で、些細な出来事でも
楽しんでくれる人と、一緒に暮らしていきたい。
そのために最近色んな女性とデートをしていたけど
なかなか難しいものですね…

 また、それとは別に病院での出来事も思い出していました。
本来は、家族といえど泊まり込みは許可されていないものだったけど
看護師から暗黙の了解を得て、何度か泊まっていました。
もちろんベッドは使えないけど、個室には小さなソファーがあるからそこで寝たりしていたのを思い出した。
次の日仕事が休みの時には、泊まれなかったら消灯時間までそばにいて
薬で寝てしまって会話はなくてもそばにいたのも
今となっては大切な思い出です。
頭を撫でていて、それで起こしてしまい怒られる時もありましたが笑い泣き
全ては今の私を支えている大切な思い出です。

 もうしてあげたくても出来なくて、とても悲しくなったり
新しく愛情を注げる人を探したり、色んな事をして
今を生きてきたけど
その中で私がほしいものがハッキリと見つかったのは良い事だろうか…?
そんな事を考えています。
今でも後ろ向きな考えで、自分で苦しくなったり
心臓が握られているような強い痛みを感じたりもするけど
少しづつ前を歩けているのかな…

 タイトルに書いた抵抗があるというのも
下手をしたら、ただの女たらしのような行動をしているんじゃないかと
見方をかえたらそう思えたからです。
気になる人と言っても、一人だけではなく複数の人とデートを重ねているからです。
中には大人の付き合いになっているような人もいますしね…
けど、そこからの付き合いはおかしい事でもないと私は考えています。
それも愛情表現のひとつであって、目的はそこにはないからです。
私はお互いを尊重して、分からない事を分からないままにしないで理解しあえる関係でありたいからです。
今日はそんな事を考えて一昨日飲んでいた店の写真を載せてみました。

 
 やはり一人で飲んでいても楽しくはないのですが
こればかりは止められそうにもありませんね…
それと、私がよく家にいる時に聴いている曲も載せておきます。


 心が苦しくも、聴かずにはいられない
そんな気持ちの時にはよく聴いています。
普段は米津玄師さんですが、洋楽の歌詞の意味を知ってしまうと
嫁さんにも教えたかったなと思ってしまいます…

 年越しまで後数日…これ以上辛くならないよう
なんとか毎日を過ごしていきます。
夜の仕事も本格的にはじまった事だし、落ち込んでばかりはいられない。

 分かってはいたけど、去年の時もそうだった。一人で今さっきご飯を食べていて

ずっと涙が止まらず、泣いたまま食事をしていた。クリスマスの前の日に、必ずケンタッキーか

近くのスーパーで普段は買わないチキンを探して買い回っていた記憶を強く思い起こす。

それは嫁さんが病院で余命宣告を受ける前の出来事で、二人でどんな風に過ごして楽しもうかと

笑いながら話していた。同じ病室で、まさかの話を聞く事になると知らずに二人で笑いあっていた記憶。

これを今の季節は特に思い出す。二人でクリスマスには一時帰宅をして、部屋で過ごそうっていっていた日は

私にとっての一番の宝物になってしまった。病室で気が滅入るだろうから、普段やらない飾りつけや

踊るサンタクロースのおもちゃ、と言えばいいのか。ダンシングサンタと言うものを買って、部屋に置いといた。

それは目にするだけで激しく動揺するから、今は目の入らない場所に片付けてあるけど

それを取り出せるようになるかなと思っていたのに、結局無理だった。

そんな事を思いだしながら食事をしていたせいか、久しぶりに手の震えも収まらず、気持ちも不安定なまま食事をしていた

なんで俺はここにいるんだ?何をしてるんだ?なんで一人で飯を食べてる?

分かりきっている答えの問いを、ずっと自分に投げ掛けていました。これを考えた所で

何も変わりはしないのに・・・その頃は嫁さんはまだご飯を食べれていたし

二人でご飯を楽しんでいた記憶が今でも昨日のように思い出せる。何を食べていたのか、何を食べたいと言っていたのか

全て覚えている。クリスマスや新年の年越しにはすき焼きや結構な値のする焼き肉を買って食べたり

全部はっきり思い出せる。それに比べて、今の私はなんなんだ。相変わらず食事を取ったり、取らなかったり

半年前までは90kgあるかないかの体重も、今では60kg台、会社の上司からもお前は病気じゃないのかと

言われるぐらいの痩せ方をしていたようだ。自分でも分かるぐらいには痩せたなと思うけど

こんなのは別にどうという事はないと思っている。食べたくても食べられなかった嫁さんに

俺が何も出来なかった事がずっと心残りでもあるけど、何より、自分が食べたいとほとんど思えていないのが原因だろう

別に水分だけ取っていれば、人間死なないものだから。半年近くそんな生活をしているけど、案外平気なものですよ。

これを書くと、しにたがり屋なのかと思われそうだけど、別にそんな風には思っていません。

ただ、食事に対する意識が限りなく0に近いだけです。一人で食べていても何も美味しくないですしね・・・

今でこんなに気持ちが不安定なら、きっと年越しやクリスマスの日なんてもっと酷い事になりそうだ。

馬鹿な事をするつもりは一切ないけど、そっち側に引っ張られないように気を付けて過ごしていきます。

とりとめのないただの日常を書いたけど、私は何を書いて、見ている人に伝えたいのかな?

自分でもよく分かりません

 一年前にも書いたけど、嫁さんを亡くすきっかけになった時の事を今でも夢に見ます。

夜中の2時過ぎぐらいに、一度嫁さんに起こされて何かを私に言いたそうにしていて

癌の痛みが強くなったから薬がほしいのかなと思って、薬を手渡して飲んだ所まで見届けて

その後寝てしまった時の事です。飲む前に何かを言いたそうにしていたのに

私が大丈夫?痛みはどれくらい、と聞いて、多分違う事を言うつもりがあったんだと今では思うけど

そのまま話さないままで私を見ていました。薬を飲んだ後に、少しの間起きていて大丈夫かなと見ていたのに

気付いたら寝ていて、次の日の朝には嫁さんの様子がおかしかった。受け答えも焦点があわない目で見ていて

うん、としか言わないままだった。おかしいとは思っていたけど、布団の様子を見てすぐに気付いた。

寝ているベッドの下が大量出血をしていて、血便のようなものまで出ていた。

それを見てすぐ救急車を呼んだけど、既に血が出すぎていて輸血するための血管がとれないと病院で言われた

この日に限らず、それは前にも何度かあってその時にすぐ気付いて病院に行っていたから

助かっていたのかも知れない。けど、今度は気付くのが遅すぎた。

病院でもう一度話す事が出来たら、今でもこんなに辛く思い出す事もないんだろうけど

もうそれは叶わない。これが私が私自身を許せない理由です。

何十年経とうと、これから先ずっと私が私を憎む理由だと確信出来る。

色んな事を新しく始めて、色んな新しい人とも出会ったけど

この気持ちだけは消える事も、和らぐ事も、忘れる事も一日だってなかった。

私が気付けば死なずにすんだのかもしれない、今でも一緒にいられたかもしれない。

全てはたらればの話で、もし気付いてすぐ病院にいっていたとしても助からなかったかも知れない。

それは色んな人からも言われて、私もそう思う部分は確かにある。

けど、仮にそうだとしても、しなかった、出来なかったという気持ちがそれを許さない。

どんな理由であれ、助けられなかった。気付いてあげられなかった。

助けられなかったというと誤解があるかも知れないが、私がすぐに行動出来なかった

こう言い換えた方がしっくりくる人がいるかも知れません。

 この事実だけは変わる事はないし、今でも向き合っている気持ちだけど

心に深い傷があって、それは嫁さんの事だけではなくずっと膿んでいる

過去にもあった、辛い死別の別れを思い起こさせる。自殺を止められずに亡くした彼女だったり

夜中に笑って酒を飲んでいたのに、その日のうちに亡くなった親友だったり

私に出来る事はなかったのかもしれないけど、たった一言があれば助かったかもしれない

違う結果になっていたかもしれない、そんな経験を思い起こさせる出来事が

嫁さんの事がきっかけになって、ずっと深い暗い感情が今でも沸き出てくる。

 私が好きだと思う人も今までに何人かと知り合い、別れ、それでも自分の居場所がほしくて

気になる人を探し続けている。

けど、これって今を忘れるためだけにやっているのかな?それとも、前を向くためなのかな?

時々分からなくもなります。私自身のためにも、こんな感情に負けないよう前を向いて

自分が好きになった人に対して、自分に出来る事なら、その人に全てを捧げてあげたい。

そう思う気持ちも嘘ではないと信じられる。

 

 今はこの二つの気持ちが酷く私を掻き乱している。

自分が許せない、でも、許せるようになりたい。前を向きたい。

それには私一人ではとても立ち直れないとも感じている。誰かに頼ることが

情けない事だとは思うけど、その相手が私が大切だと思える人なら

今よりもっと前を向ける気がする。ただ、それをその相手が許してくれるかは

別の話だけど、こんな私を受け入れてくれるような人もいないだろうとも思える。

結局のところ、自分の中でどう受け止めるかが問題なのだろうけど

受け止めるにはあまりにも大きすぎて、特に夜になるとひどく感情が荒れる。

これがよく言う、時間が解決してくれる事なのか・・・

とても今の自分を客観的に見ても、そうは思えないのだけど、じっくりと時間をかけて

見つからない答えを探し続けるしかないのだろうか・・・

人に話を聞いてもらう事で確かに楽にはなるけど、なんの解決にもなっていないと

そう思ってしまう自分が悪いのかな・・・

どうしようもなく自分の感情が抑えられなくなった時だけしか、こんな話をもうする事はないけど

最近、それをまたしてしまった事もあって、私がその人との付き合い方もどうするか

悩んでもいます。こんな見苦しくも情けない姿はあまり人に見せたくないものです。

 

 要点を得ず、何が言いたいのかよく分からないものになりましたが

これが今私の考えている事です

 人との繋がりは大事なんだって再確認する事ばっかりでした。

仕事に打ち込んでいる訳じゃないけど、早くに帰って一人で部屋にいるぐらいなら

会社に残って仕事を続けていた方が気が紛れる。そんな感覚のまま働いていたら

今日は会社の上司から怒られてしまった。

上で書いたような本音を言って怒られるのは分かるけど働きすぎだと言われた(笑)

そしてWワークとして、夜はダーツバーとして経営している人の所に面接にいき

今は結果待ちで、もし採用されたらそこで21時から25時まで働こうと考えている。

まぁ、これは人と会話をして平日はいいお客さんが多く、週末には酒の席で楽しい雰囲気を

感じながら働く事が出来るなら、それでいいと思っているし、何より自分が小さい頃からの夢でもあった。

客商売としてじゃなくても、喫茶店やバーを経営して自分で店を持ちたいとずいぶん小さな頃に考えていた。

それをふと思い出す事があって、そこに面接を受けたけど、受かるといいな。

 

 これを見ている人はどう考えるのだろうか?昼間は朝の7時から夜の大体7、8時まで働いて

夜はバイトが受かればだけど、9時から夜中まで。それを日曜以外の曜日で全てやろうと考えている。

これは前に自分を追い込んだら楽になるとか、そういう意味ではなく、単純に夜のバイトは

自分の興味がある仕事だからやってみたいと思うし、店内の雰囲気もお客さんの質もとてもいいし

何より店長が私と同じぐらいの歳で、すごくいい人だった。

こんな場所で働けるのなら、願ってもないことだ。お客さんとの会話から、小さな繋がりも出来るかも知れないし

お店で先に働いている先輩(といっても私より全員年下ですが)と、打ち解ける事も出来ると思う。

みんな人と接するのが好きな人ばかりで、とても話しやすい雰囲気のバーです。

そこでの出会いなんかもまったく期待していない訳じゃないけど、仕事としてやる以上はプロ意識を常にもって

取り組む事は今も昔も変わらない。特に接客は自分の態度や性格を改めなければならない事がきっと多いはずだ。

そこで、何を得られるかは分からないけど、部屋で腐っているよりは遥かにマシになれる気がする。

 

 今も嫁さんの遺影に向かって話しかけているけど、答えのない会話、返答のない会話、切なくなってしまう時間。

これは、これからも変わらないけど、自分がしたいと思った事や、やってみようと感じた事で今とは違う感情を

私自身が感じ取れたらいいな。先月の辛い別れや、年末が近づくにつれて、去年、嫁さんが生きていたら計画していた事を

思い出しては心が掻き乱されているから、それを乗り越えるためにも何かをしていたい。

今でも、その頃の最悪だった自分に飲み込まれそうになるけど、これはこの先ずっと同じ事を繰り返すのかな・・・

ここ最近は酒を飲みすぎたせいか、腕や体の一部に飲んでいる最中に、変な黄疸が出たりもするようになった。

まぁ、肝臓が少しやられているのかも知れないけど、こんな時期には飲まずにはいられない。