分かってはいたけど、去年の時もそうだった。一人で今さっきご飯を食べていて
ずっと涙が止まらず、泣いたまま食事をしていた。クリスマスの前の日に、必ずケンタッキーか
近くのスーパーで普段は買わないチキンを探して買い回っていた記憶を強く思い起こす。
それは嫁さんが病院で余命宣告を受ける前の出来事で、二人でどんな風に過ごして楽しもうかと
笑いながら話していた。同じ病室で、まさかの話を聞く事になると知らずに二人で笑いあっていた記憶。
これを今の季節は特に思い出す。二人でクリスマスには一時帰宅をして、部屋で過ごそうっていっていた日は
私にとっての一番の宝物になってしまった。病室で気が滅入るだろうから、普段やらない飾りつけや
踊るサンタクロースのおもちゃ、と言えばいいのか。ダンシングサンタと言うものを買って、部屋に置いといた。
それは目にするだけで激しく動揺するから、今は目の入らない場所に片付けてあるけど
それを取り出せるようになるかなと思っていたのに、結局無理だった。
そんな事を思いだしながら食事をしていたせいか、久しぶりに手の震えも収まらず、気持ちも不安定なまま食事をしていた
なんで俺はここにいるんだ?何をしてるんだ?なんで一人で飯を食べてる?
分かりきっている答えの問いを、ずっと自分に投げ掛けていました。これを考えた所で
何も変わりはしないのに・・・その頃は嫁さんはまだご飯を食べれていたし
二人でご飯を楽しんでいた記憶が今でも昨日のように思い出せる。何を食べていたのか、何を食べたいと言っていたのか
全て覚えている。クリスマスや新年の年越しにはすき焼きや結構な値のする焼き肉を買って食べたり
全部はっきり思い出せる。それに比べて、今の私はなんなんだ。相変わらず食事を取ったり、取らなかったり
半年前までは90kgあるかないかの体重も、今では60kg台、会社の上司からもお前は病気じゃないのかと
言われるぐらいの痩せ方をしていたようだ。自分でも分かるぐらいには痩せたなと思うけど
こんなのは別にどうという事はないと思っている。食べたくても食べられなかった嫁さんに
俺が何も出来なかった事がずっと心残りでもあるけど、何より、自分が食べたいとほとんど思えていないのが原因だろう
別に水分だけ取っていれば、人間死なないものだから。半年近くそんな生活をしているけど、案外平気なものですよ。
これを書くと、しにたがり屋なのかと思われそうだけど、別にそんな風には思っていません。
ただ、食事に対する意識が限りなく0に近いだけです。一人で食べていても何も美味しくないですしね・・・
今でこんなに気持ちが不安定なら、きっと年越しやクリスマスの日なんてもっと酷い事になりそうだ。
馬鹿な事をするつもりは一切ないけど、そっち側に引っ張られないように気を付けて過ごしていきます。
とりとめのないただの日常を書いたけど、私は何を書いて、見ている人に伝えたいのかな?
自分でもよく分かりません