今日は前から気になっていた映画をたくさん見て

色々思う事がありました


 天気の子 君の名は

 余命一ヶ月の花嫁

 聲の形

 心が叫びたがっている


タイトルは聞いた事があるのかも知れません

それに関係してる内容と言えばそうだし

私自身の体験からの想いかも知れない


 ブログのタイトルにも書いたように

頭であれこれ考えていてもダメで

気持ちだけでは本当に伝えたい言葉や形にならない

言葉に乗せるものは、気持ちだけでは足りない

実は、もっとシンプルな事だった


 人は、最後の最後には死ぬ時には大切な人が隣にいてほしい

その人が最後の時に自分がしてあげれる事はそばにいてあげられるだけ

たったこれだけの事でしかなかった

語る言葉はいらないとまでは言わないけど

人は、そばにいたい。そばにいてあげたい

このシンプルな気持ちでしかなかったんだなって思う


嫁さんの最後の時には辛くて自分を責めたけど

それでも息を引き取る最後の最後までずっと手を握って

腕や体を触って、俺はここにいる。一人になんかさせない

気付けなくてごめんなって言い続けていたけど

この気持ちが届いていたかどうかは問題じゃないな

俺を嫁さんのそばに居続けさせてくれてありがとう

この気持ちが一番大きかったんだなと

改めて気付けた一日でした

もう、この大好きだよ。愛していますって言葉は

直接届けられないけど、心では今でも確かに存在している

あの世ってものがあるかは分からない

けど、もしあるとするなら、それは自分の心の中なんじゃないか、そう思えます

だって気持ちは今でも嫁さんと繋がっているから


 言葉は、時には人を傷付ける事もあって

時には、人を癒やしてくれる

それは、受け取る側にもよるけど

どちらも、自分がこうありたいと正直に願う気持ちだと思う


 人はあれこれと悩んで、後悔をして

また同じ事を繰り返すんじゃないかと不安になる

けど、それだけではないと私は思う

後悔をしていてもいい

ただ、同じ過ちを繰り返さなければいい

そうでなければ、後悔をする意味がない


私はこんな風に思えるようになった

後悔をする意味は、もう二度と同じ事を繰り返さないためにある、と


 私自身が、同じ過ちをしないように行動出来ているかはまだ分かりませんが

それはこれからの行動次第だと思っています


 私が伝えたい事が、今見ている人に少しでも伝わるかな

伝わったら嬉しいです