お久しぶりです。
癌と闘っていた母が先月旅立ち、先日、無事49日の法要を終えました。
亡くなってからの数日は、正直、後悔しかなかった。
長期の介護休暇取得を直前に控えて仕事が立て込んでいて、母が亡くなる前日まで出張だったり、コロナ感染による隔離があったりして、せっかく実家に戻っていたのに亡くなる前のひと月は、平日向き合う時間が朝晩だけだったこと。
そして、気を付けていたのにも関わらず、こんなタイミングで家族全員が初コロナに感染し、免疫の低下していた母もが感染してしまったこと。
治療による効果より副作用が強くなり始めていて、そのことに気付いていたのに、辞めると主治医に伝えるのが1ヶ月遅かったこと。
何よりの後悔は最後を過ごすための緩和医療の選択。
母が地元の病院で癌と診断された時、地元では手に負えない手術ということで、東京で治療をすることになった。でも、徐々に母の癌のコントロールが難しくなる中、本人の体力や最後の過ごし方の希望を聞いて、年末からは終末期のケアに向けて、地元の総合病院に出来た緩和ケア科へ、東京の病院から再紹介してもらっていた。
でも、地元の緩和ケア科に直接かかることは出来ず、主科の医師の指示がないと何の医療も受けられないシステム。結局、年末から3ヶ月主科を受診し、2度も救急搬送もされてもなお、在宅医療すら繋げられず、亡くなる5日前に言われたことが「ここで緩和治療を受けれると思わないでください。どこか看取りのところを見つけてください。ここは病院ですから」だった。
母には治すための医療ではなく、苦痛除去を目的とした緩和医療が必要だった。でも結果的にその環境を整えてあげられなかった。
だから、母が旅立って3日間は後悔と懺悔の気持ちで泣き通しだった。
それでも、家族や親類、母の友人、そして一緒に介護を支えてくれたヘルパーさん達からの声掛けで、少しずつ、出来なかったことではなく、やってあげられたことに目を向けられるようになった。
在宅ワークの制度を使って、生活の拠点を一時実家に移して、母の側にいれたこと。
家族やヘルパーさんと協力して、母が在宅で過ごすことが出来たこと。そして、在宅だからこそ、母が希望した通りに母の友人達にも気兼ねなく遊びに来てもらえたこと。
母が何よりも大切にしていたまるりんと、最後の時までずっと一緒に過ごすことが出来たこと。
既にショック状態で意識があるのが常識を超えていると言われた中、亡くなる1時間前まで意識を保ち、施設から駆けつけた父と握手をして手を振り合え、そして、子どもである兄と私と犬達に囲まれ、「ありがと」って兄と私に言ってから意識を亡くして眠るように穏やかに旅立ったこと。
その見取りも、在宅医療が上手く機能していなかった中、ギリギリの段階で引き受けてくれたクリニックの先生の協力により、住み慣れた自宅でできたこと。
その後も、母が希望していた通りにお通夜は自宅で執り行い、母の近しい方々やボランティアやスポーツ仲間、旅仲間など、多くの方々と思い出話をたくさん共有でき、みんなでお見送りできたこと。
こうやって、出来たことに目を向けられた事で、出来ずに後悔したことは母からの宿題だと思って、今後に生かそうと思えるようになった。
4月からは東京に戻り、ぷーママの元には、あべまる、のえたん、まるりんが勢揃い。ふとした時に母のいない寂しさが押し寄せることもあるけど、個性の強い三匹と暮らしていると、悲しんでる暇もなく、毎日「こらー!何やってるのー‼︎」って大声あげながら忙しく過ごしてる。
これからはまた、三匹との日常を日記代わりに書き留めていこうと思います。