僕たちは常に誰かに見てほしくて、振り向いてほしくて、気にしてほしくて行動している。
時には誰もいないところで、自分を納得されるために、自分を思い込むために。
だからそれはまるで自分という人格を演じているようではないか。
それも状況に応じて行動を、配役を変える。
人生とは舞台の上に立った役者に思える。
僕たちは常に誰かに見てほしくて、振り向いてほしくて、気にしてほしくて行動している。
時には誰もいないところで、自分を納得されるために、自分を思い込むために。
だからそれはまるで自分という人格を演じているようではないか。
それも状況に応じて行動を、配役を変える。
人生とは舞台の上に立った役者に思える。
情けは人のためならず的に考えていくと結局人が「他人のために尽くす」みたいなことは「自分のため」になる。
例えば、困っている人を助けるという行為は困っている人を助けたという自分自身の満足感を得ることができる。逆に助けなかった場合は罪悪感を感じることになる。また、困っている人を助けるにはそれなりのリスクが伴う。
その他諸々考え方があるだろうが我々人間は困っている人を見つけた時、これらのことを天秤にかけているのではないだろうか。
助け ようとしない人は自分に課せられるリスクを恐れている。
多大なリスクを負って助けようとする人も結局はそのリスクを負うよりも相手を助けなかった罪悪感を負うことの方が重いということなのではないだろうか。言い換えれば自分を満足させるために。
「情けは人のためならず」の意味は情けをかけるとその人のためにならないでは無い。
情けをかけてやるとそれが巡り巡って自分のところに帰ってくるという意味。
情けは人のためならず自分のためである。