水槽の魚

いつも一匹

小さな水槽

毎日毎日同じ部屋

決まった時間に降ってくる餌

餌を探す必要はなく

仲間を探す必要もなく

敵から逃げる必要もない

毎日毎日何を思うのだろう

なんとなく泳いでるだけで一生を過ごすのだろうか

何を思いながら生きていくのだろうか


なにかが腑に落ちない


まるで見透かされているよう


自分自身に嘘はつけない


頭で考えてもわからない


だけどなんとなく感じる


心はそこにはない


じゃあ一体どこに……?



変化するということはとても恐ろしいことです


だからあの人に「友達」ということを強調して


友達でいいから


これ以上は望まないから


だからせめてずっと友達でいて欲しい


そういうことなんだと思う


でもそういうことなのかもしれない


僕はずっと友達でいたいと思う


確かにそう思う


別に間違っていないんじゃないか


先に進むことを躊躇しているのかもしれない


だけど先なんてそもそもないのかもしれない





以前、彼は言っていた


誰よりも強くなりたい、と


そんなことは無理だ、と僕は言った


すると彼はこう言った


物理的な強さ、社会的な強さ


そういったものではなく


普通の人と異なった考え


社会によって影響されない思考


そういったものを持つことはまさしく


誰よりも強くなるということではないか


僕が要約するに


悟りを啓くってことなんじゃないかと思う


しかし僕が思うに


彼は強くなんてなりたくない


そうなってしまったら


あの人や、僕らとの距離がずっと離れてしまう


本当は彼もずっと仲間と楽しくやっていきたいはずだ


ただちょっと強がってるだけ、いじけてるだけなんじゃないかな


彼は強くなんてなれない、彼は強くなんてなりたくないのだから



10年後の自分に会いたい? ブログネタ:10年後の自分に会いたい? 参加中
本文はここから


 未来を知るのはとても恐ろしいことだと思います。同じようなことで「過去に戻れたら」といったようなことも考えられますが、これもとても恐ろしいことだと思います。現在の自分は過去の産物であり、未来の自分は現在の産物です。仮に10年後の自分を見てしまったとしたら、その一つの見聞が未来にどれほどの影響を与えるでしょうか。その時知った自分の未来に納得できなければ未来を変えようと躍起になるかもしれません。未来が今望んでいるようになると知ったら現在の努力を怠けてしまうかもしれません。ちょっと知ってみたいだけと思っても、自分自身に与える影響はちょっとどころではありません。仮にいい未来に希望を持って、努力する力が湧いたとしてもその時点で10年後の自分の姿が変わるということもあります。過去を変えたら現在の自分がないのと一緒で現在を変えたら未来の自分も変わります。
 また、未来の自分を知ってもそれがなんになりましょうか。結局自分が生きなければならないのは今です。あの時ああしとけばよかったと思う過去があるでしょう。ああすることができなかったから今のこの状況なのです。未来なんて知っても大した意味はないと考えます。

 そんなこと言いつつ確かに未来の自分は気になるのもまた事実です。