うにです(^-^)
今日から立春、癸卯年がスタートしましたね。
昨日の節分は
またもや息子は朝から、
今日は幼稚園休む〜からの
豆まきはお家でする〜
で、
最近は行く気を起こすために、
クシコス・ポストを
この曲を聴くと腰が上がるようで
昨日も無事幼稚園に行ってくれました。
そして家でも豆まきをしようと
豆と鬼の面を用意してましたが、
帰って来た息子は園で
十分豆まきを楽しんだようで
私の豆まきの誘いに耳も傾けず
一言も豆まきをしたいとは言いませんでした。
まっ♡片付けの手間が省けて良かったです。
さて…
日柱が壬寅の私は昨年の2月、
律音となる壬寅年に
多少心をときめかせていました。
蓋を開けてみると
息子の幼稚園入園と重なったこともあり
昨年の年の暮までの半数は息子の風邪の看病と
自分の風邪の長期化に辟易してました。
特に6月、10月は
色んな消耗度が半端なく
本当に心身共に辛かったのです。
よくよく考えて見れば
6月は午月
10月は戌月
私の後天運は
大運 丁卯
年運 壬寅
そして
私の命式には壬寅、壬戌があり
木性になる干合、支合や
火性になる三合火局や半会が成立するので
一つの柱を除いて火だるま状態…🔥
でした。
そりゃ消耗度合い半端ないです。
そして律音はもう1人の自分が現れる意味があり
それは古い自分と新しい自分。
これに気づけるか気づけないかという分岐点。
さて、私は気づけたのでしょうか…
そして今での自分の固定概念から転換できたのでしょうか…。
壬寅年から真剣に始めた算命学の学びの中で
壬寅年の出来事を紐解いていった先に、
節分の前日にぱっと道が開けたような気持ちになりました。
それは貫索星の年であり、
そのプロセスは自分の掲げた信念に
本気で取り組んで行く
覚悟をする年であったと思います。
そこに至るまでは
意に沿わないが流れのまま
偽善者を装い
↑これやると私はホント破滅します。
拗れた性格のせいだと思っていましたが
そうではありませんでした。
自分に合うはずのない
違和感を軽く見た結果
壊して壊れて
やっと本当の自分に弱さに気づいた。
またやっちゃった感は否めませんが、
これも己を知るための
必要なプロセスだったのだと思います。
古い私さようなら。
信念を貫くために鬼ににもなる覚悟
(節分繋がりで)
です。
最後までお読みいただき
ありがとうございます(^-^)
素敵な立春のはじまりを