日常への視点の転換をしてみる


私たちの日々には

霽れと褻 ハレとケ

がある。


ハレの時は何か浮かれて

気分も高揚しハッピーな感覚も強くなる


けれど


ケの時はどうだろう


この、ケの時

つまり日常の地味だと感じる様な時

気分の浮き沈みはほぼなく

なんなら、落ちている、と感じたり

つまらない、と感じたりもする。


しかし、このケの日々の視点を変えてみたら

思いもよらないギフトの日だということに

気づき、このケの日々の豊かさは


けしてハレの日々には得られない

得られることが難しいことに

気付かされる。



私たちの命は無限ではない


わたしは、ハレの日を得ることばかり

考えていたなと感じている


生きている時間は有限なのに

ケの日はおざなり。。


一つ一つを貴重だと感じられていなかった


ケの日の1日を振り返ってみると


様々なギフトが山の様に

もうすでに ある ということが分かってきた


後付けで、足掻きであっても

それでいい


要は、まず自分の人生だから。


わたしの場合

派手なこともなく

ハレの日か?といえば

そうでもない日を、ケの日として


けれども、敢えて

このケの日に何があったか

振り返ってみることをしてみた


敢えて、このケの日の中の

ピックアップハレ を書き連ねてみたの。


まぁ、そしたらかなりあって

あれ? ケじゃないやん。。

ってなったんだよ。


自分のために、ケの日の瞬間瞬間を

思い出してみて

このケの一日に対してハートを開いて

出来事を丁寧に思い出して

自分の感覚を開いて見てみる


そうすると

かなり面白いことが起きた日となって

このケの1日が

細かくキラキラと浮上してきたんよね。


沈めたり浮かばせたり

そうして来たのは

そうしているのは


わたし だ、、と気づいたの。


なんなら

めちゃめちゃ発表したい

出来事だらけだったよ。


例えば、、

電車に乗って横を見ると

この広告。


金太郎のお顔のかわゆさ!

てか、なに、この手は!?

めちゃめちゃ気になるーー!


とか、こういう

日々のドキッやワクッとすることや、もの。


誰かと何か話したことで

印象に残ったイントネーションとか。


好奇心がそそられたシリーズ。


なにかド派手で目立つ様な

誰にでも分かりやすい煌びやかな世界とか

そんなんじゃなくて


たった一つの何かが

本当は心が動いていた何かが

その日の心的なハレな出来事が

必ずあるのよ。必ず。


あのコーヒーのあの一口目は

全身リラックスしたー!とか


自分の中のケの日の、美しきハレな瞬間が


人には必ずある。


日常の視点を変えてみて

敏感に自分の感覚に忠実になってみると


自分の思い込みが、ガラガラと崩れて

一気に、もはや毎日がハレなんじゃないか!?

と、気付かされる感じがしたのよ。