通算⑱
源信(恵心僧都) 
942(天慶5)~1017(寛仁1)

 平安中期の天台宗の僧。大和国生まれ。9歳で良源(慈恵大師)に師事し、顕密二教を学ぶ。阿弥陀如来を観相する法と、極楽浄土への往生の詳しい実践方法を論じた仏教書「往生要集」を、985(寛和1)に著わし、日本の浄土教成立の先駆けとなった。源信の影響を強く受け、宮廷の文学者・慶滋保胤が、986(寛和2)に「日本往生極楽記」を著し、阿弥陀信仰によって極楽往生を遂げたといわれる人々の伝記を記した。権少僧都に任じられたが、翌年辞退。当時の比叡山の世俗化と堕落を嫌い、名利を捨てて、早くから道場である「横川」の「恵心寺」に蟄居。
○紫式部の「源氏物語」宇治十帖に登場する横川の僧都は、源信をモデルにしているという。
○「金戒光明寺」阿弥陀堂の「本尊阿弥陀如来像」は、源信の最終作という。
○「三千院」に、「恵心僧都画像」と「安養尼画像」が残る。安養尼(願西尼)は、源信の姉とも妹ともいわれる。
○「禅林寺(永観堂)」に、源信作と伝わる「絹本着色山越阿弥陀図」が残る。
○「補陀洛寺(小町寺)」は、源信が小野小町を憐れみ、その亡骸を葬ったところという説がある。廃絶したものを、現在の寺が今地で受け継いだという。
○「竹林寺」(右京区太秦安井北御所町18)の「本尊長者地蔵」は、源信作と伝え、傍らに「竹林長者と伝える小像」を安置する。
○「光照院門跡(常磐御所)」の「阿弥陀如来坐像」は、源信作という。
○「安養寺(倒蓮華寺)」は、1018(寛仁2)源信が大和国當麻に建てた蓮台院が起こりという。
○「長圓寺」観音堂の「聖観音」は、源信が痘瘡の流行を鎮めるために作ったものを、比叡山から移したと伝える。
○「長香寺」(下京区高倉通松原下ル樋之下町37-5)の「本尊阿弥陀如来像」は、源信作という。
○「即成院(那須与市さん)」(泉涌寺塔頭)は、源信が伏見に光明院を建立したのにはじまるという。
○「長楽寺」の「崇徳上皇念持三尊仏」は、源信作という。
○「阿弥陀寺」(西京区桂千代原町22)の本尊は、千手千眼観世音菩薩立像(千代原観音)。体内に源信作という「千手観音立像」の焼け焦げた「化仏頭部」や「手の一部」が納められているという。
○「善願寺(腹帯地蔵)」は、源信が堂宇を建立により開基という。
○「光明寺」(長岡京市)の「十一面千手観音像」(京博寄託)は、源信作という。
○源信が再興した龍泉寺が、現在の「恵心院」(宇治市)である。


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