夏前までの私は、コンサートへ行くにも
本当にしんどかったです。
日常生活でも外出する事がほとんどできなかったから・・・。
コンサートへ行くにも、だいぶ前から予定を経てて
そこに向けて、気持ちを持っていかなければならないからです。
日を追うごとに、後○ヵ月後・後○週間後・後○日後と
カウントダウンしながら、自分の気持ちに言い聞かせるのです。
それでも前日には ドーンと気持ちが落ちるのです。
酷いときは、当日の家を出なくてはならない時間まで
泣き、号泣した時もありました。
旦那の目の前で
「家の事何もできないのに、やっぱりコンサートには行けない。
遊びに行けるのに、家の事できない自分が嫌だ。
自分は怠けてるだけなのか。
旦那に甘えているのか。
遊びに行かせてもらうのが嫌だ。」
と、私の心の叫びを 泣きながら訴えていました。
夏くらいには、ほんの少しずつ、泣く事は減り始めていました。
少しよくなったのかな? いい兆しなのかな。と思ったのが間違いでした。
最低でも2・3週間先の予定でないと
気持ちを持って行く事ができないのに
よくなったかも。と高をくくったせいで、
突発的な予定を入れてしまったんです。
その帰りの電車の中で私は倒れてしまいました。
最終電車という、焦りも重なったんだと思います。
電車に乗り、発車を待つ電車の中で 気分が悪くなり始めたんです。
自分で
『まずい・・・。過呼吸になりそうだ・・・。落ち着け。落ち着け。』
と、言い聞かせながらバッグからお茶を取り出し 口にしたんですが
外出先で落ち着くことはできず、視界が徐々に白くなっていきました。
その瞬間、その場にしゃがみ込んでしまったのです。
幸いにも目の前に座っていた方が、直ぐに声を掛けて下さり
席を譲って頂きました。
女性
「大丈夫ですか?過呼吸ですか?」
の言葉に、返事をしたいのに声にならないんです。
自分では 「は、はい」 と言っているつもりでも
きっと声は出ていなかったと思います。
視点も定まらず、手も冷たく震えてた気がします。
耳もプールの中に居るかの様に聞こえにくかったのを今でも覚えています。
あの時、席を譲って下さった女性や両隣に座っていた女性、
立っていた時私の後ろに立っていたと思われる男性が
居てくれた事が 本当に救いでした。
手をさすってくれたり、新しいお茶をくれたり
おしぼりをくれたり、過呼吸の薬まで頂きました。
何度ありがとうございます。迷惑掛けてすいません。と言った事か・・・。
何度言っても足りないです。
お名前を聞くことさえできなかった自分が情けないです。
またきちんとお礼を言えたらいいな。って思ってます。
話がずれてしまいましたが、まざまざと完治にはほど遠いと思い知らされました。
鬱を甘くみてはいけない。と思った日でした。
この日を境に、きちんと病気と向き合おうと思ったのかもしれません。
【私は鬱病なんだ。
完治までどのくらい掛かるかわからないけど、受け入れなきゃダメなんだ。
焦っても逆効果だ。ゆっくり治していこう。】
と、思うようになって、少し楽になったのかもしれません。
コンサートに数年ぶりに行ってから、楽しい事をしようと思い
夏フェスにも行こうと思うようになりました。
旦那に相談し、許可を得て 数箇所夏フェスに行かせてもらいました。
もちろん精神科の先生・催眠療法の先生・自分の心にも相談し、
自分で決断し、行って来ました。
旅行先でまた倒れるんじゃないかという不安もありました。
それでも元気をもらってこれるなら。という思いもあって
倒れることなく、無事に行ける事ができました。
それが自分の自信にも繋がったのかもしれません。
もちろん夏フェス中はずっと気が張っている為、
帰ってきてからの反動は半端なくしんどかったですが
1番酷かったときに戻るわけではなかったんです。
一歩、いえ、半歩もっと少ないかもしれないですが
確実に1に近づきつつありました。
病院もキャンセルする事が減り始めていきました。
でも毎回、診察の時に泣く事はなくなりませんでした。
これが、夏~秋にかけての私の話です。