マスター仲間からは、
すっかり前者認定されている うにこ です、こんにちは。
2月のBeトレ。われらがひでこさん前説記念♪
昨日書いたこと から一部抜粋↓
* * *
ちなみにわたしは、書類手続き系と計算が、
ほんっとちょーダメ。ちょーキライ。
ギリギリまでやらない。
で、切羽詰まってやっとやって、
なんとか形にして、提出なりなんなりして
ことなきを得るというね。
* * *
このね、
「ダメ」
「キライ」
「出来ない」
ていうのも、
前者後者論が腑に落ちるまでは、
公言するのもちょっと嫌だった。
だって、前者って出来る人のこというんでしょ?
世の中の人はみんなちゃんとできてるのに!
(という風に見える)
私だって、他のことはちゃんとこなせているんだから、
これくらいのことが出来ないなんて、
わたしダメダメじゃん!
とか認めたくなかったんだよね。
親からは、小さい時から
出来る子として扱わてきたから。
たぶん親は親なりに子の将来を思って、
世間に求められやすい
しかりした前者になってほしかったんだろうね。
でも気が付いちゃったんだ。
実際がんばればそこそこ出来ちゃうんだけども、
やりたくもないのにがんばってこなしているときって、
お父さんとお母さんからの
「あなたはやれば出来るのにプレッシャー」が
ギリギリと私を押し付けてる。
しかもめちゃめちゃがっつり根深い。
ハンパなく。
けっこうな大人になっているにもかかわらず、
心を締め付けられるようにぎゅーっと苦しいことが、
今でもね、ちょいちょいあるのよね。
いやむしろ、気づいちゃった今の方が
たくさんあるようにも感じるかもね。
でも、前者後者論が腑に落ちたときに、
出来るって言われて扱われてきたけど、
それに向かって、がんばってきたけど、
出来ないことがあってもいいんだ!
とすごーくラクになった。
まさに、ぢんさんの今朝の記事
■「自分らしく」がわかってないのに、自分らしく生きられるはずがなくない?
僕は、前者です。
でも
「できる前者」に憧れて
「もっとできるひとになろうとして」
「できないのに可愛がられる後者」に嫉妬して
生きていました。
もともと「そこそこ」できる前者だった自分が
その「そこそこ」さえ捨てたのです。
その「そこそこ」で、
なんとか自分を保ってたけど
それさえも捨てて、
「できるものはできる」
「できないものはできない」
ただ、その、
ほんとにただその単純なことにしたのです。
そしたら
できないものは、すごくできなくなりました(笑)
もうね、その「そこそこ」いらないわ。
なんでもまんべんなく出来なくちゃいけない
と思っていたから、苦しかったんだ。
たいがいのことは人より出来るのに、
なんでこんな単純な計算で間違っちゃうの?
覚えも早くてなんでも出来るのに、
どうしてこんなうっかりミスしちゃうの?
って、すごく言われて苦しかった。
出来ない部分をつつかれて、さらに
自分をものすごく責めたりしてた(ドMやなw)
もう苦しく思わなくてもいいって知っただけで、
ものすごくものすごくラクになった。
出来ないことは出来ないって
自分で認めて、
もう自分を責めたりしなくてもいいんだ。
出来ないことを出来るようにするための
エネルギーと時間を、
出来ることに使って、
もっと出来るようになってもいいんだ!
なんなら出来ることを抑えてまで
出来ないこととの差をなくして
もっと平らに均さなきゃいけないとまで思ってたからね。
出来ないことがあっていい。
私はこの「私の出来る素晴らしいこと」を
もっともっと伸ばして、
世の中に提供してって、
私の出来ないことは、
別の出来る誰かに頼ればいい。
だんだんそう思えてきたら、もっとラクになってきたよ。
ぢんさんが言うように、結果的にまわりまわって、
世界をも救うことになるしね。
で、次に目指すのはこの境地よ(笑)
そしたら
できないものは、すごくできなくなりました(笑) by ぢんさん