雲丹爺56  2011年夏休み6 光と向き合う日々  ホタル関連  oo 

                         2011-08-12現在更新


814 たまたまチャンネルをNHKにしたら、「のど自慢」をやってました。30年ほど前に脳梗塞で失語症になったという女性が「サントワマミー」を歌っていました。残念ながら鐘2つしか鳴りませんでしたが、随分と練習したようです。


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私も 日常の話しは、誰にも気づかれないほど、ちゃんと声も出ますし普通に話せます。けれども、歌はダメなのです。ドレミファの音程が 全く狂い外れてしまうのです。


夢だった小さな旅行 は先日何とか、かなえられました。
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次なる小さな夢は、好きな歌を以前と同じように歌えるようになりたいことです。
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アイウエオやABCを発音することと、音階を発声することとでは、口や舌の使い方以外に、咽喉の使い方も異なるのではないかと思うのです。大脳のどの部分がどう機能消失しているのか、どういう風に発声練習をしたらよいのかわかりません。

脳科学の専門家や、罹患の経験者がおられたら是非ご教授願います。


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812  遺作の画集が完成したと、従姉から画集が送られてきました。 九州の画家であり、教育者でもあった叔父が亡くなって26になります。 坂本九ちゃんの亡くなった、翌年でした。


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811  豪州に行っていた知人が帰国し、私の4番目の娘に頼まれたからと云って、写真を届けてくれました。


「おとうさん と おかあさん」と日本語で書かれた封筒の中に、Facebook でも見た14枚の写真が入っていてそれぞれの裏に、説明が書いてありました。


英文の手紙が一緒についていましたが、文末に XOXO とありました。


どんな意味か分かりません。メールで聞いてみると Kiss hug kiss hug という説明でした。Native youth はよく文末に使っているようです。


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なるほど、X=「ふたつの唇 > <」 「O[は抱き合っている腕のイメージ ( ) ]と想像が湧きましたが、さてどういう発音になるのだろう? 老婆(ラオボ 中国語で妻の意)は、書き言葉の記号だから発音なんてないだろうといいます。


それでも読み方くらいはあるんじゃないだろうか、例えば、ソーソー ゾーゾー ホーホー とか・・・? クソォークソォーとも読めるンじゃないかと雲丹爺の浅~い考え。正解をご存知の方 please teach me !


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前回の ホタルの話の余話  インドネシアでは ホタルのことを kelip kelip クリックリッといいます。 マレー語でも同じです。 タイではヒンホイと云うようです。


日本人はホタルが好き なんですね。外国人は、日本人ほどは興味がないように思われます。その訳は、日本ではゲンジ、ヘイケボタルが数十年前までは関東地方でも、水田や、人里など、どこにでも当たり前に見られたこと。


年配の人は当時のホタル狩りの想い出が強く印象に残っていることや、ホタルに関する童話や絵本、映画などが多くあって、だれもがその名前を知っていることなど、が挙げられると思います。


それというのも、ゲンジ・ヘイケ2種類のホタルが、世界でもとても特異なホタルだからなのでしょう。


何よりも、大きさが大きいこと、前回ブログの写真の、指先のホタルの大きさと比べてみてください。

だから、発光器 も大きくて、発光強度が高いことがあると思います。


そして他の国にはない水棲昆虫ということです。 


                           写真は山陰地方のホタル篭 です。
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でも1960年代以降の高度経済成長で、ホタルは激減してしまいました。


我家の近隣のホタル観察を、毎年楽しみにして、その数や天候、などを記録くしてきましたが、最後に観察したのはもう10年以上前のことになりました。


現在でも、各地にホタルの里があって、見られるようですが、その実態は、保存会のような組織があったり、熱心な人が、保護に努めている現状のようです。


先日もNHKで、沼田(月夜野)のホタルの里の映像を紹介していましたが、保存会の人たちが、生息環境を守っている様子でした。


人の手なしで自然繁殖している地域はどんどん減少しているようです。


ヘイケボタルは、比較的飼育が易しいので、各地で、幼虫を飼育して増やそうという試みがなされているようです。



そんな日本人も、日本で3番目の多いホタルは? ほとんど人が知りません。ヒメボタルです。


  (10年ほど前のセランゴール観光案内)


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タイのバンコクでは、ヒンホイツアー というのがあって、ある程度の人数が集まれば、それほど遠くない、ラチャナブリ県あたりへ出かけるようです。


私は、一度申し込んでみましたが、当日の午後問い合わせてみたところ、人数が集まらないので今日はNGだといわれました。 



マレーシア観光して、セランゴールのホタルを見たことのある方はかなり多いのではないかと思います。


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クアラルンプールの北 Kuala Selangorにある Selangor川を河口から15kmくらい遡上したところのあるKampung Kuantan カンポン・クアンタンという村にホタル観光の公園があります。


入口付近には写真のようなレストランがありました。中国語繁体字で「螢火村冷気海鮮楼」 英語で Firefly Park Seafood Restaurant と看板がかかっていました。


公園入口のゲートには、ひらがなで いらっしぃませ のネオンが。またゲート近くには、思わず笑っちゃったのですが、頭上に、ホタルの大きな電飾模型か看板がありました。


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体長2~3m、飛翔中であるかのように両翅を広げ、腹部全体が発光器になっているようで

全体が光っていました。


しかも脚は、8本か10本くらいついていたかと思います。(当時の写真を探してみましたがどうしても見つかりません。) 甲虫ですから足は6本の筈ですし、発光器は尻の12節だけの筈で全体が光るなんてことはあり得ません。まるで宇宙怪獣 のようだったので、吹き出した覚えがあります。



観光ボートに乗って、川の両岸のブルンバンというマングローブの木々に集まっていました。

クリスマスツリーとか、ホタルの木とか言われて、大分知名度が上がって、日本などからのツアーも増えていた様子が、感じられました。


川幅は40m位ですが、船頭は、岸辺の木に触れる辺りまで近寄って、見やすいようにしてくれたりもしました。


また、対岸の木々にも淡いけれども、木々にホタルが集まっている様子を観察できました。昔は、灯台代わりにもなったのだとか。



もう10年ほど前のことでしたが、今はどうなっているのでしょうか? 


当時すでに パハン・スランゴール導水事業 (セランゴール州と首都クアラルンプールにおける水供給(第7期マレーシア計画の重点施策である水供給事業の一環で、パハン州にあるケラウ川からセランゴール州にあるランガット川へ一日に23億リットルもの水を導水トンネル45km・パイプライン8kmにより導水する計画。2003年に着工、2007年配水開始予定。) 


というのがあって、川の水位が上がったり、海からの海水逆流で塩分濃度が増したり、上流にダム湖ができたりして、ホタルの生息条件が厳しくなっているという話を聞きました。 


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ここばかりではありません、日本のホタル生息環境が急速に悪化したように、東南アジア各国のどこでも、急速な観光化と共にホタルは減少しているようです。



私は ホタルの伝播経路に関心 を持ってきました。


一つは、ニューギニアから、スマトラ、ボルネオ~アジア大陸の海沿いに、北上して、海南島、フィリピン、台湾、琉球列島から島伝いに北海道まで。


二つ目は、メコン河を遡り、雲南、四川、モンゴル、シベリア、カムチャッカ、樺太、北海道 のルートの可能性。


私は、ベトナムの海沿いに、ホーチミンーファンティエット―ニャチャンーダナンーフエータインホアーハノイーハロンと歩いてみたのですが、住民の話から、生息していることは分かりましたが、実際に観察はできませんでしたし、


中国・海南島でも同じことでした。


また雲南、四川にも足を延ばしましたが、高地での生息は全く確認できませんでした。


旅先では、北欧人やイスラエル人、南米の人たちとホタルの話をしました。


短い夏の間、ホタルが見られると言ってました。飛翔距離の短い(せいぜい100200m)が海を渡るとは考えられません。人の移動に伴って、船や馬で長い時間をかけて、世界に拡散したと考える方が自然だと思います。




そんな研究をいている方がおられましたら、ぜひお話を聞かせてほしいと願っています。

雲丹爺55 2011年夏休み 5 光と向き合う日々 

 バリ島 ニュピ と ホタル         

                        2011-08-10現在更新



10年ほど前、

アジア旅行者の体験記録を Net Surfin' していて
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インドの高原を走り続ける夜汽車の車窓から、無数のホタルを見た』 とか、


バリ島のウブドの宿に泊まっていたら、部屋に ホタル が入ってきた』 


とかの文章を読んで、とても旅情を誘わました。


それまでにも、アジアの各地のホタル を見てきたけれど、

まだ見たことのないバリ島のホタルを見に行くことにして、さっそく格安航空券を見つけて手配した。


  バリ島は以前に数回訪れたことがあった。雲丹爺のブログ




初めてBaliを訪れた時には クタ ビーチのホテルに泊まり、





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バリの正月 ニュピNyepi 静寂の日) を体験した。


それは強烈な体験でした。


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ニュピは、3月中~4月初め頃の新月の夜に行われ<暗闇祭り>ともいわれる。
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ヒンドゥー教の島民は、その日は一切の火を使わない
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島中の照明 あかり は建物も街路も一切が落とされ、商店はすべて閉まり、




家庭でも煮炊き調理もしないで、新年を迎える。 もちろん空港も閉鎖 される



バリでは、箱根のスケールを一回り大きくしたような
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景勝地キンタマーニ高原、 ネカ美術館タナロット寺院モンキーフォレスト


など有名な観光地は すでに一通り見て回っていました。


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島内のいたるところで、オゴオゴ と云われる

怖い形相の大きな人形 が飾られていた。


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さてニュピ当日の夕方、賑わっていた ビーチからは人影が消えた











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波の音だけが聞こえていた。



日が暮れると、人々は松明をかざしながらオゴオゴ をお神輿のように担いで練り歩いた



いくつものコゴオゴの松明行列が去ったあと、
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島中の一切の明かりが消え、静寂だけの世界になった



瞳孔をどんなに開いても見えるのは、漆黒の星空

それを背景にそよぐ、

真っ黒な椰子の葉影だけ


椰子の葉擦れと鳴く虫の音の外は何の音も耳には届かなかった。

安らかな心 になれた。


ホテル内のコテージに戻ろうとしたが、道も建物も、本当に何も見えないまっくら闇の世界だった



昼間の記憶だけを頼りに手さぐりで、細い道を戻り、ようやく部屋にたどり着いたが、途中石灯篭にぶつかって倒してしまった。 


学生時代に、幾度も夜の山道を歩いた経験 が役立った。



その 時の旅で知り合った一人のバリ人 ガマ君 GAMA ANTARA に、


今度来るときは案内してあげると名刺をもらっていたのを思い出し、

日本から電話して、車と案内を頼んでおいた。
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Baliに着いてKutaのホテルに入り、

ガマ君に電話したら、翌日運転手を連れて車で迎えに来てくれた。


とりあえず ウブゥドに行き、地元の人にいろいろと聞いて回ったけれど、



地元の人はホタルにあまり興味がない ようだった。


もっと高原に近い棚田のあたりだったらみられるかもしれないよ、ということだった。



皆さんの故郷には、棚田 Rice terrace/Terraced paddy fields がありますか?


Fumio の故郷 能登には、有名な笹波の千枚田がありますね。


棚田の畔道を歩いたことがありますか。

私は関東平野の田園地帯で育ったので、

田圃は平らかで、カエルを捕まえたりザリガニやタニシを獲ったりして

遊んだことがありましたが、高低差のある棚田の畦道を歩いた経験はありませんでした。



ホタル を見るには

出てきそうな場所を、日中によく観察しておく ことが必須です。



幼虫のえさとなる巻貝やカタツムリがいるかどうか、叢の中や周辺の木の葉の裏に

休んでいるホタルの成虫がいないかどうかなどを 観察しておくのです。



BALI の 棚田の畦道は怖ろしかった
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なぜなら畔は曲がりくねっているうえに 極めて狭く細い のです。



そして片側は稲田だけれど、もう一方は2~3mも下にあり、

転落したら這い上がれそうもなく、

バランスを取りながら歩くだけで大変でした。


ホタルがいる痕跡は見つかりませんでした。

山陰に日が落ちあたりは薄暗くなってきました。


少し幅の広い道に戻って、夕闇を待ちました。

運転手たちは車のところでたばこを吸って待っていてくれました。


すっかり陽が沈んでしばらくたったころ、田の向こうの林の中から

かすかな光が揺らめいてフラフラと飛んでくるのを眼にしました。


その数はだんだんと増えて行きました。
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思っていた通り、バリのホタルは 

やはり陸生の体長5-6mm 幅2-3mm の小さなホタルでした。





何匹かを手に取って観察しては,どれもみな放してあげました。






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雲丹爺54 夏休み 4 
光と向き合う日々  鉄道博物館 

                                   2011-08-07現在更新



8月7日 


今日は花(ハナ)の日 今日もまた夜半に録画しておいた


なでしこジャパンのアメリカとの決勝戦 
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を再生してまたまた見てしまいました


何度見返しても、よく勝てたなぁと感心します。


ずいぶんと元気と勇気をもらいました。




8月3日


元気をもらった私は、
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水曜には鉄道博物館Railroad Museum


 に行ってきました。


子連れで賑わっていました。









8月6日 広島原爆記念日 
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大学で4年間同級だったMO 

彼は広島の被爆だった。


卒業後それぞれ別々の会社に就職したが、ともに社宅は横浜市磯子区、


私の入った独身寮は、お互いに歩いても行ける距離だったので、よく遊びに行きました。



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私の寮は、磯子の崖の上にあり、横浜プリンスホテルは通勤途中だった。



パー27のゴルフショートコース があり、

夏は、毎朝 出勤前に2ラウンドくらいまわってから、出勤した。


ショートアイアンの腕はここで鍛え上げた。
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さて、MO君との付き合いは深く、彼より先に結婚した私の結婚式の司会もしてくれた。


独身寮を出た私は、保土ヶ谷権太坂の上の公団住宅に移り住んだ。


やがて彼も結婚した。

結婚前から彼女のことは聞かされていた。

彼らは茅ヶ崎に日越していった。


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しばらく会わず数年が経ち、彼が亡くなったことを、弔いが済んでから知った。



奥さんの話では、間質性肺炎ということだったが、原爆の後遺症だったのかという思いが強かった。




86日になると、健康で快活だった日焼けした

彼の笑顔を想い出す。
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次回 バリ島ホタルの話 を書く予定です。


     写真はキンタマーニ高原


皆さんの故郷には、


棚田 Rice terrace/Terraced paddy fieldsがありますか?


Fumio の故郷 能登には、有名な笹波の千枚田がありますね。

棚田の畔道を歩いたことがありますか。
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私は関東平野の田園地帯で育ったので、田圃は平らかで、

カエルを捕まえたりザリガニやタニシを獲ったりして遊んだことがありましたが、高低差のある棚田の畦道を歩いた経験はありませんでした。



ホタルを見るには、日中によく観察して、

幼虫のえさとなる巻貝やカタツムリがいるかどうか、

叢の葉の裏に休んでいるホタルの成虫がいないかどうかを

よく観察しておくことが肝要です。  

                (つづく)

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