雲丹爺51 2011年夏休み その1 光と向き合う日々
2011-07-23現在更新
7月7日
例年のように七夕の飾りをする竹も生えず、
だから天の川を見ることもなく、
卒業以来欠かさずに続いている高校の同窓会『七夕会』 (もう数十年も出席していない)
への欠席通知を出すこともなく、
七夕の日は過ぎて行った。
世の中はどんどん変わっていくけれども、
自分は時代の変化に追いついていけてないなぁ、
【写真】 夕陽
7月9日 アフリカで54番目の国家が誕生した。 -続く-
以前は、国名や首都名をほとんど諳んじてたのに、
今はいくつの名前を挙げられる
だろうか全く自信がない。
新聞で、誕生した国は、南スーダン、首都名はジュバと読んでも、
はたして何日覚えていられることか?
国連加盟が認められると、
193番目の加盟国となるのだそうだ。
国連加盟国の名前を大陸別に数え上げていける国名は、100にも達しないかもしれない。
20年ほど前にはほとんどすべて、位置や地誌を頭に入れていたのに、忘れる速度は驚異的だ。・・・・・
緑のカ-テン
ハイビスカス
奥に見える5匹のネコたちにかじられて枝がなくな
っていまったのに
一冬を越して、芽を吹き 今年も花を開いてくれた。
光と向き合う日々
私は十分長生きさせてもらったと思います。
産んでもらった両親に感謝したい。
心臓と肺の機能が不全となって長い入院の後、退院してから1年半以上たった。
以来、外泊したことは一度もなかった。<小旅行>が私のささやかな夢だった。
なのにそれが実現した。しかも2泊の温泉旅行。
新潟の妙高赤倉温泉に行ってきた。
心配していた 部屋のトイレ もネットで確認した通りに、ウォッシュレットだったし、
TVもブラウン型から BS/地デジ対応の22インチ液晶の新しいものに変わっていた。
妙高に泊まるのは今回が初めて。
宿に着いたら、観光も遊びも何~んにもしない予定だった。
それなのに少しの散策をし、山々を眺め、野天温泉に浸かり、
太陽を全身に浴び顔や腕をの皮膚を赤くし、
昼の間にホタルのいそうな場所を探しておいた。
夕方から空が暗くなり、雷鳴がとどろき、6時過ぎからは
稲光とともに、雨が降り出した。
雨は降り止まず、日没後、傘をさして出かけた。
しまった! 昼は気付かなかったが街灯が1本立って
道を照らしている!
満月の夜は、ホタルは活動しないほどひかりに弱いのだ。
まして雷鳴の夜!
しかし、激しい雷雨の中でゆらゆらと飛ぶ
ゲンジボタルの雄の個体と川底近くの雌の個体群。
20m位の沢筋に、数十匹のゲンジボタルが・・・
奇蹟のようなことが現実に起こった。
大宮から長野までは、新幹線「あさま」であっという間に到着、途中停車駅の軽井沢や上田などが懐かしかった。若い時分に歩き回った一帯だった。
八ヶ岳や小海線の沿線などが思い起こされた。
あの時は山岳部の春山合宿、またあるときはオーケストラの合宿で来たなあ・・・
咲いていた花の色なども思い起こせた。到着した長野駅から
は車で70分、妙高の赤倉温泉街は空いていた。
展望の効く温泉の窓からは、妙高山2454m、黒姫山2053m、赤倉山2101m、神奈山1900m
などが まばゆい夏の緑の光を煌めかせてくっきりと山容を見せていた。
ペンション パエーゼUNOの黒犬と仲良くなり、ギボウシの花や池の鯉を観賞、温泉からは懐かしい黒姫、戸隠し・・の山々がはっきりと見えた。晩年の母に山の景色を見せたくて、黒姫で泊まり、さらには黒部まで足を延ばしたことがあったっけ。・・・・
帰りの日の長野では、全く予定もしていなかった善光寺さんにお参りすることもできた。
炎天下の仁王門のあたりの水路では、亀が出迎えてくれた。なんという吉兆だろうか。
地元に人に評判を聞いて、美味しい手打ち信州そばを小菅亭でいただいた。大門近くの古い藤屋(ふぢや)さんでは、おすすめの抹茶アイスをいただいた。
猛暑日のカンカン照りの午後のひと時を、ゆっくりとくつろぐことができた。
心臓も呼吸器も正常に働いてくれた。
映画DVDを5-6枚、DVD再生機も持参していたが、使うことはなかった。
留守宅では 光の番組やベトナムの番組を多数、予約収録してくれていた・・・・






















