たまぁに ADHD というワードで他のブログさんも拝見しているのですが、
子供にADHDの疑いがあるといわれて、悲しむ方、
夫に ADHDの疑いがあるといって、激怒された方
ADHDじゃないかと言われて動揺される方
色々悩みを抱えていらっしゃるんだなぁ…。
今となっては「いかに改善・人間として向上」しようか、
ってことに着目して頑張ろうと思ってはいるけど、
初めADHD(私はADD)の疑いがあるといわれたときにどうだっただろう…
なんか日記を読み返すと(※当時は完全に個人的な日記をつけていました)
一応は凹んでるんですけど…
開放感を感じていたようです。
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当時母にも怠惰だと責められ、中学時代の教師には「易きに流される」と言われ…
愚弟は成績が(私よりは)明らかに優秀だったし、
愚弟が私を恥自邸たことも知っていたので、
自然と、いくら鈍感であった私も自分自身を責めてしまう事もあったんですね…
何から何まで自分が嫌いで、
小学校の卒業アルバムも自分の顔写真をぐちゃぐちゃにカッターナイフでえぐってしまいました。
捨ててしまいました。
なので、「自分の怠惰だけではなかったのだ!」と知って、
「必要以上に自分を責めてしまったのだ」
「責めても状況がよくなるわけではないのに」
と考えが巡りました。
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そんな事をふと、思い出しました。
ADHDであることに、まだ、社会の認識が足りないとは思いますし、
教師、保育師の教育は不十分だと思いますし、
正直、保育の制度はどうにかならないものかと思う事はあるけども
ADHDであることに、ADHDであるかもしれないということに、
あまり、恥じないで。と思ってしまいます。
それよりも、一緒に、頑張りましょう。改善していきましょう。
と声をかけたいです。
(が、実際のトコロ、ADHDかもしれないといわれるなどで傷ついた人にそんな事
言えやしないので…そんなコメントは書かないですよ
)