・門限は16:00
過ぎると22:00の父の帰宅まで締め出されてました。
夏祭りのある日で門限18:00。
合唱コンクールなどの打ち上げすら許して貰えず、周りの友達がとても羨ましくて泣いてました。
・朝夜ご飯は1週間毎日同じメニュー
毎朝、ご飯の上に薄焼き卵(卵半個分)を乗っけたものや納豆のみのご飯でした。
お代わりは勿論無く、毎日授業中お腹が鳴るのが恥ずかしかったです。
夜ご飯は親子丼が多かったですね。
お肉の代わりにお麩だった時はキツかったです。
勿論お代わりは無い日がほとんどで、成長期の私は死にそうでした。
・19:00以降の帰宅は豆電球のみ、台所でのご飯
私は吹奏楽部だったので、帰宅が遅くなる日が多かったです。
普段の妹達のご飯は17:00です。
母はリビングを自分の部屋にしているので、電気をつけてはいけません。
オレンジ色の豆電球の中でのご飯です。
音を立てると怒られるので、コソドロの気分で食べてました。
・お風呂に入れない
帰りが遅い日は、もう水気を取ってしまってカビるから、と言われ入らせて貰えない日もありました。
好きな時になんて入れません。
タイミングが合わないとなにがなんでも入らせてもらえなかったです。
思春期の女の子にはキツかったです。
・洗濯物は洗剤無し
ワイシャツは黄色いし、ジャージの白部分は常に茶色かったです。
他の家族の分は綺麗に洗ってるのに、私の分だけはきちんと洗ってくれませんでした。
お風呂で泣きながら、タワシで洗っていました。
・真夏のクーラーや扇風機禁止
これは本当に死にかけでした。
暑すぎて窓の際で僅かな風を感じながら寝てました。
1階の母の寝床ではもちろんクーラーをつけています。
姉はバイト父は仕事…
夜中の涼しくなる時間帯まで、1人で死にかけてました。
・長期休みの期間家にいてはいけない
春休み、夏休み、冬休み。
昼ご飯も作って貰えないし、クーラーのついてるリビングはママの部屋なので入れない。
ほぼ友達の家に朝早くから夕方まで入り浸ってました。
友達の予定がある時は図書館かイオンへ。
あの時の友達にはかなり迷惑かけてたけど、
夏も冬も、お陰で死なずに済みました。
・自分の部屋以外の部屋、全ての棚や冷蔵庫は開けてはいけない
文字通りです。
姉と同じの私の部屋と寝室以外の部屋は鍵がかけられてました。
棚や冷蔵庫も開けてはダメです。
麦茶すら飲めなかったので洗面所の水を飲むことも。
お菓子も勿論勝手に取ったり、棚を物色するのは禁止。
とにかく触られるのが嫌な母でした。
・お小遣いは2000円
中学生の女の子。
友達とイオンへ映画に行ったり、お揃いのキーホルダーやプリクラ、マックで駄べりなど…
どう考えても2000円で済みません。
どう頼んでも増やしてはくれませんでした。
泣きながら行けない連絡をしたのを覚えてます。
付き合いが悪く、仲良い女の子達と疎遠になった時も。
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こんにちは。uniです。
今日の記事から
私の経験した、未成年非行少女だった約3年間の出来事を、
1日一記事書き留めていこうと思います。
家族構成は、父・母・姉1人・妹3人。
私は普通の市立の中学生へ通う15歳でした。
実に5姉妹であり、当時の下の3人の妹のうち2人は幼稚園生
末っ子はまだ幼児でした。
姉とは7つ離れていて
当時は警察官を目指し、専門学校へ通う優等生でした。
金銭的には父の稼ぎも普通より少し貰ってる方。
特別裕福な訳でも、カツカツに暮らさなければならない貧乏でもありませんでした。
傍から見れば子に恵まれた、二階建ての一軒家に住む7人家族
しかし、中を覗けば私の家族は常に崩壊寸前であり
そこには他の家庭とは違う家族の生活の在り方がありました。
今回の記事では直接的に 家出 に繋がった
次回の記事では 非行少女 に繋がったと思われる、
主な原因の一部を、私の中学生時代の家庭環境を下記に書こうと思います。
長くなりました。
結構特殊ですよね。
しかし、私が産まれてからずっとこの生活では無かったはずです。
このような生活になったキッカケはなんだったのでしょうか。
そして、このような生活を3年間続けた結果
どのような思考で未成年の非行少女・家出少女に私がなってしまったのか
それらを次の記事にて書こうと思います。
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