職場で先輩職員から聞いた話です。

今の会社で働いているある方は、余命3ヶ月と言われているのに

出来る範囲でお仕事を続けているそうなのです。

まだ40歳前という若さで、お子様も小さくて…。

そしてその方の病名が、私の亡くなった母と同じだということで

尚更、他人事と思えず。


人間の寿命とか生きる価値とかを考えてしまいました。

長寿であることは、おめでたいことだとして

お祝いの対象になりますけれど、

毎日私が接しているほとんどのお年寄りは、

「長生きし過ぎた」とか「早くあの世に行きたい」とかおっしゃり

そのたびに私は切ない思いをしています。


年齢の割にお元気で、ほとんど不自由そうなところも無い方でさえ

そうおっしゃることもあり、長生きするって どういうことなのだろうと

考えてしまいます。

もちろん「今が一番幸せ」と話してくださる方もいて

そんな時は、とても嬉しく心が温まる思いになるのですけれど。


自分が80歳90歳まで生きられたら、どんなおばあちゃんになっているのだろう。

その時に「長生きしていて良かった」と言える自分でいられるのかな…。

正直言って、あまり長生きしたくないと思っているのですが^^;

自分の命があと数ヶ月と限られた時に、何をしようとするのかな。

私は、短命なことが必ずしも不幸だとは思っていないのです。

それよりも、長く生きて疎まれるよりも

短くても充実した時間が過ごせれば十分だと思ってしまいます。

そう思うのは、生きたくても長く生き続けることが難しい方に対して

とても失礼なことかもしれませんが、私個人の思いですから

どうぞご容赦ください。


今の私が考える「生きる価値」は…

生きている間に、心の中に深く想うことができた人がいたかどうか、

だと思っています。

その対象は、家族かもしれないし、友人かもしれない。

恋人かもしれないし、会うことが叶わない偉人かもしれない。

名前も知らない、街で見かけただけの人かもしれないし、

物語に出てくる想像上の人物かもしれない。

相手がどんな人であろうと、「この人は」と心の底から大事に想える人で

あれば、それでいいと思うし、そういう人に出会えることは

とても素晴らしいことだと思うのです。


話しが随分逸れてしまったけれど…

毎日をただ緩慢にやり過ごすのではなく

一日一日をキチンと終わらせて次の日を迎えなければ…と思ったのでした。